2024年05月25日
石鹿っ鼓③
小学3年生の春に入団した子どものデビューは秋になります。
振りも小さくか細い声しか出ません、それが上級生になると、振りも大きくなり声もしっかり出るようになります。
人に見られることに慣れてきて、人に見られることが嬉しくなるのだと考えています。
そうした環境で成長した子どもが中学生になり、時々練習に顔を出してくれました。
中学生になってまだ半年なのに・・・敬語を使うようになっています。
「どうや中学校は、元気でやってるか」
「はい、今、生徒会に入っています」
そんなやり取りがあったのは、手を付けられないほどやんちゃな女の子でした。
「凄いな、頑張ってるんやな」
ここで昔に戻って「そうやで、私頑張ってるんやで」
「これからも頑張って生徒会やってや」
「うん」
頑張っていることを認めてもらって笑顔がこぼれました。
違うケースでは2年続きで石鹿っ鼓のメンバーが生徒会長になったこともあります。
もちろん本人の資質もあったのでしょうが、人に見られることで自信がついたことも事実です、大勢の前でも臆することなく話ができているようでした。
300名前後の子どもたちが34年間で石鹿っ鼓に在籍しました。
いじめもありました、大人の前ではそんなそぶりは見せませんが、学校では知らず知らずに無視されて仲間外れになっている子どももいました。
卒団式は全員で焼き肉が石鹿っ鼓のいつものパターンです。
その日になって6年生が1名来ていませんでした。
時々練習を休んでいましたので、連絡できずに同じ6年生全員に卒団式の日時を、その子どもに伝えておくように指示しましたが・・・伝えていないことが分かりました。
卒業式が終わる前に卒団式をしていたのですが、時間になってもその子だけが来ません、6年生に伝えたか確認すると「言ってない」
ここでこちらも爆発です、「今日の卒団式は中止する」「え~そんなんいやや」「伝えといてくれと言ったやろ」「・・・・・・」
「すぐに呼んで来い、6年生全員で行ってこい!もし来なかったら中止やからな」7・8人が飛んでいきました。
しばらくすると、ばつの悪い7・8人と嬉しそうにニコニコしてくる1人、焼き肉の最中も輪に入って焼き肉をぱくついていました。
子どもは無邪気で残酷なもの・・・・です。
その後、その子どもは親の都合で草津の方に引越しし、以後の消息は不明です。
もう30は超えていると思いますが、幸せに暮らしていてくれれば。
振りも小さくか細い声しか出ません、それが上級生になると、振りも大きくなり声もしっかり出るようになります。
人に見られることに慣れてきて、人に見られることが嬉しくなるのだと考えています。
そうした環境で成長した子どもが中学生になり、時々練習に顔を出してくれました。
中学生になってまだ半年なのに・・・敬語を使うようになっています。
「どうや中学校は、元気でやってるか」
「はい、今、生徒会に入っています」
そんなやり取りがあったのは、手を付けられないほどやんちゃな女の子でした。
「凄いな、頑張ってるんやな」
ここで昔に戻って「そうやで、私頑張ってるんやで」
「これからも頑張って生徒会やってや」
「うん」
頑張っていることを認めてもらって笑顔がこぼれました。
違うケースでは2年続きで石鹿っ鼓のメンバーが生徒会長になったこともあります。
もちろん本人の資質もあったのでしょうが、人に見られることで自信がついたことも事実です、大勢の前でも臆することなく話ができているようでした。
300名前後の子どもたちが34年間で石鹿っ鼓に在籍しました。
いじめもありました、大人の前ではそんなそぶりは見せませんが、学校では知らず知らずに無視されて仲間外れになっている子どももいました。
卒団式は全員で焼き肉が石鹿っ鼓のいつものパターンです。
その日になって6年生が1名来ていませんでした。
時々練習を休んでいましたので、連絡できずに同じ6年生全員に卒団式の日時を、その子どもに伝えておくように指示しましたが・・・伝えていないことが分かりました。
卒業式が終わる前に卒団式をしていたのですが、時間になってもその子だけが来ません、6年生に伝えたか確認すると「言ってない」
ここでこちらも爆発です、「今日の卒団式は中止する」「え~そんなんいやや」「伝えといてくれと言ったやろ」「・・・・・・」
「すぐに呼んで来い、6年生全員で行ってこい!もし来なかったら中止やからな」7・8人が飛んでいきました。
しばらくすると、ばつの悪い7・8人と嬉しそうにニコニコしてくる1人、焼き肉の最中も輪に入って焼き肉をぱくついていました。
子どもは無邪気で残酷なもの・・・・です。
その後、その子どもは親の都合で草津の方に引越しし、以後の消息は不明です。
もう30は超えていると思いますが、幸せに暮らしていてくれれば。
Posted by いとう茂 at
10:38
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2024年05月24日
石鹿っ鼓②
今年度をもって解散する石鹿っ鼓ですが、振り返ると色んなことがありました。
もう20年ほど前になりますが、日吉大社で市内の子ども太鼓などの演奏会がありました。
和太鼓は石鹿っ鼓を入れて4団体だったと思います。
多い所では50名を超える子どもの太鼓グループもありました。
当時の石鹿っ鼓のメンバーは20名余りだったと思います。
演奏会は和太鼓だけでなく他の楽器の演奏もありましたので、出番が来るまで大広間で4グループが休憩をしているはず・・・・。
ところが石鹿っ鼓のメンバーは全員が境内を走り回っています、こちらの引率は3名と付き添いの親たちでした。
休憩しているはずの子どもたちがここにも一人、あそこにも一人と歓声を上げて走っています。
「こらっー、何をしてるんや控室に戻れ!」・・・馬耳東風とはこのことです、そして付き添いの親が叫んでも知らん顔。
子どもらしくてこれもいいかぁ、そして演奏はどのグループにも負けない素晴らしいものでした。
ちゃんと自主性とメリハリをつける気持ちは育っています、怖い指導者が力で抑えても遊びたい気持ちは抑えられません。
他のグループの子どもたちもさぞ羨ましかっただろうと思います。
ただ付き添いの親たちは恥ずかしかったのか、それ以後の練習には当番で顔を出すようになりました。
練習に来る子どもに家を出る前に「ええか、今日はお母さんが当番やから走り回ったら承知せえへんで」そんな言葉があったかもしれません。
付け焼刃の躾は子どものためか、親が恥ずかしい思いをしたくないからか・・・。
そんなことも子どもはすっかりお見通しだったと思います。
子どもらしく伸び伸びと、これは暗黙の指導方針でした。
振りや声出しは厳しく言いましたが、間違っても叱ることはありませんでした。
そこで何かを感じて学んでくれたらいいのです。
もう20年ほど前になりますが、日吉大社で市内の子ども太鼓などの演奏会がありました。
和太鼓は石鹿っ鼓を入れて4団体だったと思います。
多い所では50名を超える子どもの太鼓グループもありました。
当時の石鹿っ鼓のメンバーは20名余りだったと思います。
演奏会は和太鼓だけでなく他の楽器の演奏もありましたので、出番が来るまで大広間で4グループが休憩をしているはず・・・・。
ところが石鹿っ鼓のメンバーは全員が境内を走り回っています、こちらの引率は3名と付き添いの親たちでした。
休憩しているはずの子どもたちがここにも一人、あそこにも一人と歓声を上げて走っています。
「こらっー、何をしてるんや控室に戻れ!」・・・馬耳東風とはこのことです、そして付き添いの親が叫んでも知らん顔。
子どもらしくてこれもいいかぁ、そして演奏はどのグループにも負けない素晴らしいものでした。
ちゃんと自主性とメリハリをつける気持ちは育っています、怖い指導者が力で抑えても遊びたい気持ちは抑えられません。
他のグループの子どもたちもさぞ羨ましかっただろうと思います。
ただ付き添いの親たちは恥ずかしかったのか、それ以後の練習には当番で顔を出すようになりました。
練習に来る子どもに家を出る前に「ええか、今日はお母さんが当番やから走り回ったら承知せえへんで」そんな言葉があったかもしれません。
付け焼刃の躾は子どものためか、親が恥ずかしい思いをしたくないからか・・・。
そんなことも子どもはすっかりお見通しだったと思います。
子どもらしく伸び伸びと、これは暗黙の指導方針でした。
振りや声出しは厳しく言いましたが、間違っても叱ることはありませんでした。
そこで何かを感じて学んでくれたらいいのです。
Posted by いとう茂 at
15:17
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2024年05月23日
石鹿っ鼓
石鹿っ鼓(せきろくっこ)と読みます。
大人の太鼓は石鹿太鼓保存会ですが、設立時の平成3年は石鹿太鼓遊友会でした。
それから1年遅れて石鹿っ鼓を、亡くなった当時の代表の奥村さんと相談して立ち上げました。
石鹿太鼓を大人だけでなく、子どもの世代に伝えてすそ野を広げたい、後世に残したいと考えたのが理由です。
早速、地元の小学校にお願いに行って、4年生から6年生の団員を募集しました。
それからもう32年になります、多い時には30名を超える団員がいましたが、コロナで新規募集が3年できずに現在は6年生が6名だけになっています。
太鼓の練習日は水曜日の6時からで、それまではえこーの面談があります。
えこーのスタッフと子どもの太鼓の指導は、同じメンバーがやっていますので毎週、時間に追われてバタバタしているのが現状です。
子どもの練習後は大人の太鼓の練習で、水曜日の午後から10時過ぎまではハードな時間が続いていました。
来年度に小学生の募集をして新しいメンバーでの継続も考えましたが、全員が初心者になるために手取り足取りとは言いませんが、こちらの負担が増えることは確実です。
それを考えたときに、体の負担がどうなるか・・・・。
これは継続が無理だと考えて今年度で最終にしました。
大人も高齢者が多くなり、考えている演奏ができなくなっています、そこへ初心者の子どもが増えたら・・・と考えると折れそうになってしまいました。
多様化といえば聞こえはいいのですが、太鼓に取り組む姿勢が各自違う中で、より高いレベルを求めるのは困難です。
子どもも大人も曲がり角、そんな状態ですのでモチベーションを維持することが難しくなりました。
荷物を減らすという意味で、まずは子どもの太鼓の解散です。
思い出はいっぱいあります、またの機会に報告します。
大人の太鼓は石鹿太鼓保存会ですが、設立時の平成3年は石鹿太鼓遊友会でした。
それから1年遅れて石鹿っ鼓を、亡くなった当時の代表の奥村さんと相談して立ち上げました。
石鹿太鼓を大人だけでなく、子どもの世代に伝えてすそ野を広げたい、後世に残したいと考えたのが理由です。
早速、地元の小学校にお願いに行って、4年生から6年生の団員を募集しました。
それからもう32年になります、多い時には30名を超える団員がいましたが、コロナで新規募集が3年できずに現在は6年生が6名だけになっています。
太鼓の練習日は水曜日の6時からで、それまではえこーの面談があります。
えこーのスタッフと子どもの太鼓の指導は、同じメンバーがやっていますので毎週、時間に追われてバタバタしているのが現状です。
子どもの練習後は大人の太鼓の練習で、水曜日の午後から10時過ぎまではハードな時間が続いていました。
来年度に小学生の募集をして新しいメンバーでの継続も考えましたが、全員が初心者になるために手取り足取りとは言いませんが、こちらの負担が増えることは確実です。
それを考えたときに、体の負担がどうなるか・・・・。
これは継続が無理だと考えて今年度で最終にしました。
大人も高齢者が多くなり、考えている演奏ができなくなっています、そこへ初心者の子どもが増えたら・・・と考えると折れそうになってしまいました。
多様化といえば聞こえはいいのですが、太鼓に取り組む姿勢が各自違う中で、より高いレベルを求めるのは困難です。
子どもも大人も曲がり角、そんな状態ですのでモチベーションを維持することが難しくなりました。
荷物を減らすという意味で、まずは子どもの太鼓の解散です。
思い出はいっぱいあります、またの機会に報告します。
Posted by いとう茂 at
10:59
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2024年05月22日
4500
2011年9月に同僚の若い男性二人にブログを勧められ、今年で13年になります。
気が付くとアップした記事は4000を超えて4500に手が届くところまできました。
内容は・・・浅薄、その言葉が適切かもしれませんが、限られた時間で文章を作ることや表現力がつかないか、そんな思いで身の回りのことを中心に取り上げて続けてきました。
私にブログを勧めた二人との接点はなくなり、二人が現在もブログを続けているかは分かりません。
国政や海外の事情にはなるべく触れずにおこうと決めていました。
論語の「その位にあらざれば政を謀らず」です。
ほとんど読み返すことがないので日記代わりとはいきませんが、タイトルだけを眺めて回想にふけることは時々あります。
出る時は人に任せて引く時は自分で決める、出処進退の鉄則ですが、ブログも辞め時が難しいと考えていますが、自然消滅が一番いいと思っています、作家のように筆を折るということはできませんので、気がつけばなくなっていた。
そうなるのが理想で大声で辞めますと言う必要もない気がしています。
このままのペースでいけば来年には5000を超えることになります。
拙文の積み重ねですが、ずっと読んでくださっている方もおられます。
内容よりも「伊藤は元気でやってるな」と拙文を眺めておいでかもしれません。
それでも貴重な人生の時間を使ってもらっています。
ともあれ4500も一つの節目として、もう少し先を目指したいと思います。
気が付くとアップした記事は4000を超えて4500に手が届くところまできました。
内容は・・・浅薄、その言葉が適切かもしれませんが、限られた時間で文章を作ることや表現力がつかないか、そんな思いで身の回りのことを中心に取り上げて続けてきました。
私にブログを勧めた二人との接点はなくなり、二人が現在もブログを続けているかは分かりません。
国政や海外の事情にはなるべく触れずにおこうと決めていました。
論語の「その位にあらざれば政を謀らず」です。
ほとんど読み返すことがないので日記代わりとはいきませんが、タイトルだけを眺めて回想にふけることは時々あります。
出る時は人に任せて引く時は自分で決める、出処進退の鉄則ですが、ブログも辞め時が難しいと考えていますが、自然消滅が一番いいと思っています、作家のように筆を折るということはできませんので、気がつけばなくなっていた。
そうなるのが理想で大声で辞めますと言う必要もない気がしています。
このままのペースでいけば来年には5000を超えることになります。
拙文の積み重ねですが、ずっと読んでくださっている方もおられます。
内容よりも「伊藤は元気でやってるな」と拙文を眺めておいでかもしれません。
それでも貴重な人生の時間を使ってもらっています。
ともあれ4500も一つの節目として、もう少し先を目指したいと思います。
Posted by いとう茂 at
14:24
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2024年05月21日
意識変化
えこーの相談者からスタッフに子どものことで連絡がありました。
家の中のものを壊して手が付けられない、医療機関につなぎたいのだがどうすればいい、そんな内容でした。
親への暴力はありませんが、窓ガラスを割ったり台所の棚や食器を壊したりと日常生活に支障が出ています。
保健所とつないで定期的に職員と医師の訪問もお願いしています。
親は警察にも相談していますが、壊すのは一瞬ですですし、いつ物を壊すかわからず通報のタイミングが難しいので、警察の出番は今のところありません。
親も保健所とのつながりから警察の協力を考えていますので、土日、祝日や深夜は保健所に連絡できないので、困り果てているのが現状です。
えこーのスタッフで会議をして出した結論は、保健所とえこーの連携強化です。
ひきだし屋ではありませんので、力で強制的に医療機関に連れていくことは考えていませんし、現実的にも無理なことです。
保健所に行き相談すると、保健所の方針も医療機関につなぐことでした。
ここで問題になったのが両親の方向が一致していないことです。
一方は医療機関を望んでいますが、もう一方は半分諦め状態で「子どもに殺されてもいい」・・・です。
保健所の次回の訪問が終わったら、改めて会議をしてその次の訪問にはえこーも同行することにしました。
それまでに、えこーの仕事は両親の方向を同じにするために、両親と話し合いです。
物を壊したときに「どうして壊すの?」・・・・。
そこは子どもを叱ることだと考えます、子どもを叱れない親はしっかり子どもと向き合うこともできません。
親が子どものことを真剣に考えたときに、向き合う覚悟がないと前に進みません。
それをしないで「子どもに殺されてもいい」は親としての義務放棄、ただ逃げているだけです。
親が親であるから子どもは子どもでいられる・・・親の意識変化を促すのもえこーの仕事です。
家の中のものを壊して手が付けられない、医療機関につなぎたいのだがどうすればいい、そんな内容でした。
親への暴力はありませんが、窓ガラスを割ったり台所の棚や食器を壊したりと日常生活に支障が出ています。
保健所とつないで定期的に職員と医師の訪問もお願いしています。
親は警察にも相談していますが、壊すのは一瞬ですですし、いつ物を壊すかわからず通報のタイミングが難しいので、警察の出番は今のところありません。
親も保健所とのつながりから警察の協力を考えていますので、土日、祝日や深夜は保健所に連絡できないので、困り果てているのが現状です。
えこーのスタッフで会議をして出した結論は、保健所とえこーの連携強化です。
ひきだし屋ではありませんので、力で強制的に医療機関に連れていくことは考えていませんし、現実的にも無理なことです。
保健所に行き相談すると、保健所の方針も医療機関につなぐことでした。
ここで問題になったのが両親の方向が一致していないことです。
一方は医療機関を望んでいますが、もう一方は半分諦め状態で「子どもに殺されてもいい」・・・です。
保健所の次回の訪問が終わったら、改めて会議をしてその次の訪問にはえこーも同行することにしました。
それまでに、えこーの仕事は両親の方向を同じにするために、両親と話し合いです。
物を壊したときに「どうして壊すの?」・・・・。
そこは子どもを叱ることだと考えます、子どもを叱れない親はしっかり子どもと向き合うこともできません。
親が子どものことを真剣に考えたときに、向き合う覚悟がないと前に進みません。
それをしないで「子どもに殺されてもいい」は親としての義務放棄、ただ逃げているだけです。
親が親であるから子どもは子どもでいられる・・・親の意識変化を促すのもえこーの仕事です。
Posted by いとう茂 at
12:38
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