2012年11月25日
金曜ナミダメ劇場
BSで毎週金曜日の11時から金曜ナミダメ劇場という
30分番組を放映しています。
タイトルが面白いので見てみたら手紙の朗読と
歌を2・3曲の番組でした。
手紙は視聴者からの投稿で、毎週テーマが決まっています。
時々再放送もありますので、この前見たなぁと思いつつ
ついつい見てしまいます。そして、
いろんな人生があることに気づかされます。
良し悪しはご覧になった方それぞれの判断で
いいと思いますが、私は毎週見ています。
昨日は少し時間があったので、散髪に行き、
献血をしてきました。
その後、役所に行き一般質問を作成するために
障害者の施設長に電話でいろいろ訊ねました。
これで2問ができそうです、あと2問柱がありますが、
週明けに関係課で現状を確認してきます。
来週は予定が詰まりました。
多忙な中落ち着く時間が作れたら・・・・。
そう願っています。
あまりとんがった気持ちで作る質問はどこかしっくりきません。
惻隠、惻隠。
30分番組を放映しています。
タイトルが面白いので見てみたら手紙の朗読と
歌を2・3曲の番組でした。
手紙は視聴者からの投稿で、毎週テーマが決まっています。
時々再放送もありますので、この前見たなぁと思いつつ
ついつい見てしまいます。そして、
いろんな人生があることに気づかされます。
良し悪しはご覧になった方それぞれの判断で
いいと思いますが、私は毎週見ています。
昨日は少し時間があったので、散髪に行き、
献血をしてきました。
その後、役所に行き一般質問を作成するために
障害者の施設長に電話でいろいろ訊ねました。
これで2問ができそうです、あと2問柱がありますが、
週明けに関係課で現状を確認してきます。
来週は予定が詰まりました。
多忙な中落ち着く時間が作れたら・・・・。
そう願っています。
あまりとんがった気持ちで作る質問はどこかしっくりきません。
惻隠、惻隠。
Posted by いとう茂 at
16:32
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2012年11月24日
よそ者
よそ者と聞いてどんなことを連想されるでしょう?
まち起こしでよく使われるのが、よそ者、若者、馬鹿者。
既存の組織や慣習にとらわれずに物事を発想したり、
行動できる立場の人が必要だと、そして何かを変えてくれる、
実際、変わった地域がたくさんあります。
後は、よそ者イコール新住民という言葉で表現します。
対する言葉は旧住民。
私の住むまちは、江戸時代の最初に作られたまちです。
関ヶ原が終わって、家康が最初に作った城が膳所城です。
それも、天下に号令をかけて・・・・。
天下普請の第1号が膳所城です。
ストーリーは皮肉です。
戊辰戦争で薩長連合が勝ち、明治に入ると廃城布告が出、
先を競って城を壊しました。
日本3代水城と言われた膳所城だったのに・・・・。
江戸時代に作られたまちは、外敵の侵入を防ぐために
道は入り組んで、袋小路も多く現在でも外から、
地理のわからない人が入ってくると、結構迷われているのを
見かけます。
そうした地形に由来するのか定かではありませんが、
昔ながらの閉鎖的なまち、そういった感があります。
学区の人口はほぼ横ばいで推移していますが、
その割合は微妙に変化し、旧住民と新住民の
目に見えない軋轢もあります。
何を持って旧住民というのかは明確ではありません。
こんな小さなまちでもよそ者は生きにくいかもしれません。
そうした新旧の間にある壁や垣根をなくしたいと、
若いころから色々と試みてきましたが・・・・。
詰まる所は、一度つかんだものは離さないし全部支配したい、
そういった既存勢力と、一度は既存の輪に入ろうと
試みて、うまく懐に入った人と、自己主張して支配下に
入らなかった、そういうと聞こえはいいのですが、
既存体制に嫌われたという方が適切かもしれませんが・・・・。
抜け落ちていった人たち。
その人たちは無関心になっていくのですが・・・・。
そうしたグループになっているような気がします。
既存勢力は高齢化が進み過渡期に入ったと言えます。
ここで、どんな新興勢力が出てくるのか。
ある意味、よそ者に期待をしています。
こういう構図は膳所だけではなく全国各地にあること
だと思いますが、気が付いたら少しずつ変わっていた、
そうしたことでまちが変貌していく気がします。
余り露骨な行為は、結果として露骨な反動が
あることを無意識のうちに知っているのでしょうか。
後、よそ者は選挙の時にも使われます。
地元出身とか地元ではないよそから来た人とか。
面白いことに、そうしたよそから来た人をなかなか
受け入れないのは旧住民で、どちらか言えば
保守系の人が多いのです。
今回の衆議院選挙、地元の人もよそから来た人も、
色眼鏡で見ずに、信頼できる、そう思える人に
投票したいと思っています。
個人的には旧住民に入る人間ですが、ここでも、
よそ者に期待したいと思います。
まち起こしでよく使われるのが、よそ者、若者、馬鹿者。
既存の組織や慣習にとらわれずに物事を発想したり、
行動できる立場の人が必要だと、そして何かを変えてくれる、
実際、変わった地域がたくさんあります。
後は、よそ者イコール新住民という言葉で表現します。
対する言葉は旧住民。
私の住むまちは、江戸時代の最初に作られたまちです。
関ヶ原が終わって、家康が最初に作った城が膳所城です。
それも、天下に号令をかけて・・・・。
天下普請の第1号が膳所城です。
ストーリーは皮肉です。
戊辰戦争で薩長連合が勝ち、明治に入ると廃城布告が出、
先を競って城を壊しました。
日本3代水城と言われた膳所城だったのに・・・・。
江戸時代に作られたまちは、外敵の侵入を防ぐために
道は入り組んで、袋小路も多く現在でも外から、
地理のわからない人が入ってくると、結構迷われているのを
見かけます。
そうした地形に由来するのか定かではありませんが、
昔ながらの閉鎖的なまち、そういった感があります。
学区の人口はほぼ横ばいで推移していますが、
その割合は微妙に変化し、旧住民と新住民の
目に見えない軋轢もあります。
何を持って旧住民というのかは明確ではありません。
こんな小さなまちでもよそ者は生きにくいかもしれません。
そうした新旧の間にある壁や垣根をなくしたいと、
若いころから色々と試みてきましたが・・・・。
詰まる所は、一度つかんだものは離さないし全部支配したい、
そういった既存勢力と、一度は既存の輪に入ろうと
試みて、うまく懐に入った人と、自己主張して支配下に
入らなかった、そういうと聞こえはいいのですが、
既存体制に嫌われたという方が適切かもしれませんが・・・・。
抜け落ちていった人たち。
その人たちは無関心になっていくのですが・・・・。
そうしたグループになっているような気がします。
既存勢力は高齢化が進み過渡期に入ったと言えます。
ここで、どんな新興勢力が出てくるのか。
ある意味、よそ者に期待をしています。
こういう構図は膳所だけではなく全国各地にあること
だと思いますが、気が付いたら少しずつ変わっていた、
そうしたことでまちが変貌していく気がします。
余り露骨な行為は、結果として露骨な反動が
あることを無意識のうちに知っているのでしょうか。
後、よそ者は選挙の時にも使われます。
地元出身とか地元ではないよそから来た人とか。
面白いことに、そうしたよそから来た人をなかなか
受け入れないのは旧住民で、どちらか言えば
保守系の人が多いのです。
今回の衆議院選挙、地元の人もよそから来た人も、
色眼鏡で見ずに、信頼できる、そう思える人に
投票したいと思っています。
個人的には旧住民に入る人間ですが、ここでも、
よそ者に期待したいと思います。
Posted by いとう茂 at
15:36
│Comments(0)
2012年11月23日
コメント
さあちゃん様、コメントありがとうございました。
ブログ読ませてもらいました。
ちょっと過激な提案でしたが、同意できる点もありました。
待機児童は1歳児2歳児が多く5歳になるとかなり減ります。
これは大津市だけでなく全国的にです。
児童クラブのほかに放課後等デイサービスという制度があります。
障がいのある子供を学校まで迎えに行き5・6時まで預かり
自宅まで送り届けるという制度です。
利用は毎日でも週に1・2回でもよいということで、
児童クラブとの併用も可能です。
滋賀県ではまだまだ普及していませんが大都市では
結構認知度も上がり利用する人も増えています。
保護者の社会参加の手助けや体力や精神面の負担軽減、
児童の自立支援が主な目的だと思いますが、
12月議会で質問も考えています。
最近、チョコチョコ、コメントをいただきます。
どこの誰だか知る由もありませんが、
どこかの町ですれ違ったことがある人かもしれません。
まさか、それを知り合いだとは言えませんので
未見の人としておきましょう。
その未見の人がブログを読んでいてくれる。
それだけで、どこか嬉しいものですし、
励みになるものです。
人は一人で生きられないし、生きていけるほど強くもない。
見ず知らずの人にコメントをいただき励まされる。
その手ごたえで生きていける部分もあります。
話は変わりますが、昔同じまちに自閉症の
男の子がいました。
以前にも書いたのですが、もう20年以上前に
引っ越して隣の町に行きましたが、ある一定のサイクルで
電話がかかってきたり、我が家にやってきます。
そういう時は悩み事がある時で、話を聞いてほしい時です。
この前、この子のお父さんに引っ越して以来偶然に出会いました。
開口一番、お父さんはいつもすいませんなぁ、
そういわれました。普通ならご無沙汰してますとか
懐かしいですね、とかほかの言葉が出てもよさそうなのに、
すいませんなぁ。でした。
養護学校を出て会社に勤めているのですが、
職場でミスをして怒られた。
会社を辞めたい。
一般社会の常識を身に着けないと。
大抵この相談に集約されます。
電話であれ家に来るであれ、せっかくここまで勤めたんやから
もうちょっと頑張れとか今、やめても次に行く会社の方が
待遇が悪くなるで。
一般社会に常識なんて一遍には身につかへんから
焦らんでええよ。
おはようございます。ありがとうございます。
ごめんなさい、がいえたらそれでええんや。
その程度のことしか言ってやれませんが、
帰る時は、わかった、僕頑張る。
そう言って帰ります。
帰った後、何とか続けてくれよという思いと
自分にその子に逃げるな頑張れと言う資格があるのか
そんな自己嫌悪に落ち込んでしまいます。
自分は逃げたことがないんか。
ええ恰好するな!
もう一人の自分が責めてきます。
自己嫌悪は自分で何とかするしか方法がありません。
ただ、あの子にはあそこへ行けばオッチャンがいる。
そう思ってくるのでしょう。
私はあの子の親にも家族にもなれませんが、
中途半端な私でも、何かしらあの子の力になっているのなら
そう思うだけが拠り所です。
お父さんもうちに来ていることを知っておられます。
それだから20数年ぶりのあいさつが、すいませんなぁ
だったのでしょう。
自分を見ていてくれる人がいる。
あの人に会えば話ができる。
親であれ、他人であれお前は一人じゃないんだ。
ちゃんとここにいて見守っているよ。
そう言ってもらえたり感じたりするだけで、明日に向かって
生きていけるものかもしれません。
よーいドンで走り出す子供たち、足の速い子もいれば遅い子もいます。
遅いと言って、その子の親をやめることはできません。
どんな人間にも長所があるものです。
そして、それ以上に短所があります。
それが人です、それだから人間なのかもしれません。
長所も短所も含めてその子なのです。
だったら丸ごと抱きしめるしかないのです。
日々の暮らしの中で苛立つことも焦ることも
怒ることもあるでしょう。
こうあって欲しいと、その子に願う心があるから、
腹立たしいのかも知れません。
でも、その子の人生はその子のものです。
こちらのペースと合わないのは仕方がありません。
自分の喜怒哀楽、業、煩悩。
すべて、心が決めていることかもしれません。
泣く日があれば笑う日もある。
毎日の天気が教えてくれています。
私はいつもノー天気!
ブログ読ませてもらいました。
ちょっと過激な提案でしたが、同意できる点もありました。
待機児童は1歳児2歳児が多く5歳になるとかなり減ります。
これは大津市だけでなく全国的にです。
児童クラブのほかに放課後等デイサービスという制度があります。
障がいのある子供を学校まで迎えに行き5・6時まで預かり
自宅まで送り届けるという制度です。
利用は毎日でも週に1・2回でもよいということで、
児童クラブとの併用も可能です。
滋賀県ではまだまだ普及していませんが大都市では
結構認知度も上がり利用する人も増えています。
保護者の社会参加の手助けや体力や精神面の負担軽減、
児童の自立支援が主な目的だと思いますが、
12月議会で質問も考えています。
最近、チョコチョコ、コメントをいただきます。
どこの誰だか知る由もありませんが、
どこかの町ですれ違ったことがある人かもしれません。
まさか、それを知り合いだとは言えませんので
未見の人としておきましょう。
その未見の人がブログを読んでいてくれる。
それだけで、どこか嬉しいものですし、
励みになるものです。
人は一人で生きられないし、生きていけるほど強くもない。
見ず知らずの人にコメントをいただき励まされる。
その手ごたえで生きていける部分もあります。
話は変わりますが、昔同じまちに自閉症の
男の子がいました。
以前にも書いたのですが、もう20年以上前に
引っ越して隣の町に行きましたが、ある一定のサイクルで
電話がかかってきたり、我が家にやってきます。
そういう時は悩み事がある時で、話を聞いてほしい時です。
この前、この子のお父さんに引っ越して以来偶然に出会いました。
開口一番、お父さんはいつもすいませんなぁ、
そういわれました。普通ならご無沙汰してますとか
懐かしいですね、とかほかの言葉が出てもよさそうなのに、
すいませんなぁ。でした。
養護学校を出て会社に勤めているのですが、
職場でミスをして怒られた。
会社を辞めたい。
一般社会の常識を身に着けないと。
大抵この相談に集約されます。
電話であれ家に来るであれ、せっかくここまで勤めたんやから
もうちょっと頑張れとか今、やめても次に行く会社の方が
待遇が悪くなるで。
一般社会に常識なんて一遍には身につかへんから
焦らんでええよ。
おはようございます。ありがとうございます。
ごめんなさい、がいえたらそれでええんや。
その程度のことしか言ってやれませんが、
帰る時は、わかった、僕頑張る。
そう言って帰ります。
帰った後、何とか続けてくれよという思いと
自分にその子に逃げるな頑張れと言う資格があるのか
そんな自己嫌悪に落ち込んでしまいます。
自分は逃げたことがないんか。
ええ恰好するな!
もう一人の自分が責めてきます。
自己嫌悪は自分で何とかするしか方法がありません。
ただ、あの子にはあそこへ行けばオッチャンがいる。
そう思ってくるのでしょう。
私はあの子の親にも家族にもなれませんが、
中途半端な私でも、何かしらあの子の力になっているのなら
そう思うだけが拠り所です。
お父さんもうちに来ていることを知っておられます。
それだから20数年ぶりのあいさつが、すいませんなぁ
だったのでしょう。
自分を見ていてくれる人がいる。
あの人に会えば話ができる。
親であれ、他人であれお前は一人じゃないんだ。
ちゃんとここにいて見守っているよ。
そう言ってもらえたり感じたりするだけで、明日に向かって
生きていけるものかもしれません。
よーいドンで走り出す子供たち、足の速い子もいれば遅い子もいます。
遅いと言って、その子の親をやめることはできません。
どんな人間にも長所があるものです。
そして、それ以上に短所があります。
それが人です、それだから人間なのかもしれません。
長所も短所も含めてその子なのです。
だったら丸ごと抱きしめるしかないのです。
日々の暮らしの中で苛立つことも焦ることも
怒ることもあるでしょう。
こうあって欲しいと、その子に願う心があるから、
腹立たしいのかも知れません。
でも、その子の人生はその子のものです。
こちらのペースと合わないのは仕方がありません。
自分の喜怒哀楽、業、煩悩。
すべて、心が決めていることかもしれません。
泣く日があれば笑う日もある。
毎日の天気が教えてくれています。
私はいつもノー天気!
Posted by いとう茂 at
13:59
│Comments(1)
2012年11月22日
健康診断
20日は健康診断を受けてきました。
昨年、免許の切り替えの時の視力は
右0,8左0,7が今回は右0,7左1,2でした。
適当に言って当たったのではありません。
見えたというか・・・・・見えたつもりです。
聴力は右が弱くなっているとのことでした。
これは自分でも感じていましたので老化のせいです。
身長が30代に比べると2センチ余り縮んでいました。
これも老化です。
骨密度は年齢平均の99%ということで、それなりです。
体重は増えてはいるものの20代に比べて10キロ以上
増えていないのは褒められるそうですが、ウエストは
20代に比べてほぼ10センチ・・・・・。
体が緩んだだけです。
あとは体の中の検査結果を待つだけです。
二日間の研修が終わりました。
今回の講師陣は多種多彩な顔ぶれでした。
昨日の最初の講師は吉本興業の専務理事で
印象に残ったのは、必ず売れる芸人になる方法は、
売れるまで辞めないことだ、という言葉です。
禅問答のような趣がありますが、言い換えれば、
夢をあきらめないということだと理解しました。
いつの時も夢をあきらめるのは自分です。
それも、いろんな言い訳をつけて・・・・。
まさに継続は力なりです。
二人目の講師は、大学の教授でしたが、
1時間半唯抑揚もなくレジメの説明に終始し、
質疑の時間に参加した議員から
「先生、今日の講義録をください」とお願いが出ました。
悪びれたりムッとしたりせず、
「では、あす皆さんに配布してもらいます」
器が違うのか・・・・。
ただ、会場は大爆笑でした。
あとは・・・・言えません。
人生の持ち時間を削って参加したのですから、
当分は私だけの宝です。
そのうちほかの議員にも披露はすると思いますが・・・・。
これからいじめ防止条例の政策検討会議です。
議会中も会議があります。
議案上程は12月議会にこだわっていませんので、
じっくり時間をかけて議論を深められたらと思います。
昨年、免許の切り替えの時の視力は
右0,8左0,7が今回は右0,7左1,2でした。
適当に言って当たったのではありません。
見えたというか・・・・・見えたつもりです。
聴力は右が弱くなっているとのことでした。
これは自分でも感じていましたので老化のせいです。
身長が30代に比べると2センチ余り縮んでいました。
これも老化です。
骨密度は年齢平均の99%ということで、それなりです。
体重は増えてはいるものの20代に比べて10キロ以上
増えていないのは褒められるそうですが、ウエストは
20代に比べてほぼ10センチ・・・・・。
体が緩んだだけです。
あとは体の中の検査結果を待つだけです。
二日間の研修が終わりました。
今回の講師陣は多種多彩な顔ぶれでした。
昨日の最初の講師は吉本興業の専務理事で
印象に残ったのは、必ず売れる芸人になる方法は、
売れるまで辞めないことだ、という言葉です。
禅問答のような趣がありますが、言い換えれば、
夢をあきらめないということだと理解しました。
いつの時も夢をあきらめるのは自分です。
それも、いろんな言い訳をつけて・・・・。
まさに継続は力なりです。
二人目の講師は、大学の教授でしたが、
1時間半唯抑揚もなくレジメの説明に終始し、
質疑の時間に参加した議員から
「先生、今日の講義録をください」とお願いが出ました。
悪びれたりムッとしたりせず、
「では、あす皆さんに配布してもらいます」
器が違うのか・・・・。
ただ、会場は大爆笑でした。
あとは・・・・言えません。
人生の持ち時間を削って参加したのですから、
当分は私だけの宝です。
そのうちほかの議員にも披露はすると思いますが・・・・。
これからいじめ防止条例の政策検討会議です。
議会中も会議があります。
議案上程は12月議会にこだわっていませんので、
じっくり時間をかけて議論を深められたらと思います。
Posted by いとう茂 at
12:50
│Comments(0)
2012年11月21日
木を植える
さあちゃん様、拙いブログにコメントありがとうございました。
参考になるものがあれば幸いです、今後ともよろしくお願いします。
もう一人コメントをいただきましたが、お名前が分かりません。
因果についてご意見をいただきありがとうございました。
私が抱えている因業は親や先祖から受け継いだものと、
私の前世から引き継がれたものがあるということでしょうか。
生まれかわりについては異論はありません。
人間に生まれたのもご縁なら鳥に生まれるのも
ご縁だと思いますし、私の来世が犬や猫あるいは雑草
であるかもしれないと考える時がありますし、
今預かっている命が果てて、何百年も生まれかわる
ことがない気もしますし、彼岸に渡ったらすぐにこの世の
どこかで生まれかわっているのかも知れないと思います。
右衛門の子ども8人が前世ですべて早死にする悪行を
はたらいて右衛門のもとに生まれ変ったのかは、私にも
分かりませんが、もしそうだと仮定すると、死ぬ間際に
お大師に会え救われた右衛門の悪行の方が
軽かったのかなどと勘ぐってしまいます。
すべての人が親や先祖からの因業と、自らの前世の
因業を宿業として無意識に背負って生きていると考える時、
より良い因業を来世につなぐにはどうすればいいのか。
百年の計は気を植えること。
そうした地道な作業しかないのでしょうか。
それを奉仕と呼んだりしますが、
自分の人生の中で正しさのみでは生きられない部分を
認識するが故の罪滅ぼしとも言えそうです。
私一人が、自分は救われなくてもいいと開き直っても
私が周囲にかける迷惑が来世の誰かに引き継がれると
考える時、自分は自分であっても自分ではない、
借り物の自分がいることに気付かされますが、
私が背負っている前世の誰かの因業を少しでも減らして
来世の誰かに引き継ぐのが仕事だと考えれば
生き方も見えてきますが、その通り生きられず、
来世への因業を増やしている自分が時にいます。
それを煩悩というのでしょうか。
何か取り留めのない話になってしまいました。
さぁ、研修です、因業が増えるか減るかわかりませんが、
知識という引き出しだけは増やしておかないと・・・・。
参考になるものがあれば幸いです、今後ともよろしくお願いします。
もう一人コメントをいただきましたが、お名前が分かりません。
因果についてご意見をいただきありがとうございました。
私が抱えている因業は親や先祖から受け継いだものと、
私の前世から引き継がれたものがあるということでしょうか。
生まれかわりについては異論はありません。
人間に生まれたのもご縁なら鳥に生まれるのも
ご縁だと思いますし、私の来世が犬や猫あるいは雑草
であるかもしれないと考える時がありますし、
今預かっている命が果てて、何百年も生まれかわる
ことがない気もしますし、彼岸に渡ったらすぐにこの世の
どこかで生まれかわっているのかも知れないと思います。
右衛門の子ども8人が前世ですべて早死にする悪行を
はたらいて右衛門のもとに生まれ変ったのかは、私にも
分かりませんが、もしそうだと仮定すると、死ぬ間際に
お大師に会え救われた右衛門の悪行の方が
軽かったのかなどと勘ぐってしまいます。
すべての人が親や先祖からの因業と、自らの前世の
因業を宿業として無意識に背負って生きていると考える時、
より良い因業を来世につなぐにはどうすればいいのか。
百年の計は気を植えること。
そうした地道な作業しかないのでしょうか。
それを奉仕と呼んだりしますが、
自分の人生の中で正しさのみでは生きられない部分を
認識するが故の罪滅ぼしとも言えそうです。
私一人が、自分は救われなくてもいいと開き直っても
私が周囲にかける迷惑が来世の誰かに引き継がれると
考える時、自分は自分であっても自分ではない、
借り物の自分がいることに気付かされますが、
私が背負っている前世の誰かの因業を少しでも減らして
来世の誰かに引き継ぐのが仕事だと考えれば
生き方も見えてきますが、その通り生きられず、
来世への因業を増やしている自分が時にいます。
それを煩悩というのでしょうか。
何か取り留めのない話になってしまいました。
さぁ、研修です、因業が増えるか減るかわかりませんが、
知識という引き出しだけは増やしておかないと・・・・。
Posted by いとう茂 at
11:23
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