2015年01月11日

出初式

今日は10時から市民会館となぎさ公園を会場に
消防の出初式がありました。
例年通り各学区の消防団員の表彰や自主防災会の活動に対して
感謝状の贈呈が行われました。
その後は会場をなぎさ公園に移して、各学区の消防団が勢揃いしての
散水は勇壮でした。
今日は天気もよく気温もそれほど低くなく寒さは余り感じませんでした。

琵琶湖という日本一の湖を抱える滋賀県には消防艇もあります、
これは淡水では日本でここだけで、湖上からの消火活動や
水難救助という役目を担っています。

昔は出初式と言えば1月7日と決まっていましたが
最近は第2日曜日、消防団の団員のサラリーマン化が進み
平日だと出席が悪いからでしょうか。

そういえば成人の日の1月15日、小正月でした。
小正月という言葉も使われなくなりました。
時代は少しずつ変わっているようです。

昨日は健さんの映画を2本見ました。
「君よ憤怒の河を渉れ」と「あなたへ」です。
どちらも何度も見ていますので展開もわかります、
亡くなってから、どこか向かい合って見ていない自分がいます。
まともに見られない、それが事実です。

私生活のことはほとんど知りません、人柄や性格も
スクリーンを通してしか推測できませんが、それでも
人をひきつける魅力はどこから来るのでしょう。
嚢中の錐という言葉がありますが、袋に入れた錐は
いずれ袋を破って外に出てくる、能力や人徳のある人は
黙っていても人が知るところとなるという意味で
能ある鷹は爪を隠しても姿かたちは鷹ですので、
小動物は安心しないでしょうが袋の中の錐は目に見えませんので
その人に接して初めて大きさが見えてきますし、懐の深さは
包容力にもつながります。
普段おとなしくても急時には頼りになり、平穏な時は安心感があります。

そんな人間像を「ホッとするおっちゃん」と命名しています。
私の自己実現の目標ですがまだまだ道遠し・・・・・です。

今夜は消防の膳所分団の懇親会です、明日は成人式がありますので
二次会はパスして帰る予定です・・・・帰ります。
分団の顔ぶれも変わってきました、商店街の理事長をしていた頃、
昭和の終わりですからかれこれ30年前になります。
あの頃は私より年上が多かったのですが、今では年下の方が
圧倒的に多くなりました、子どもより若い団員も大勢います。

桐一葉 落ちて天下の 秋を知る
桐の葉は桜やケヤキよりも落葉の時期が早く、物事の潮目を
読むことの重要さを説いた言葉だったと思いますが、若い団員に
混じって飲み過ぎないように注意です。


  
Posted by いとう茂 at 13:15Comments(0)

2015年01月10日

良寛の戒語

何年か前に良寛にまつわる本を読んだ時にこの戒語に出会いました。
以来、自分で打ち直しファイルにして持っています。

目の届く所に置いて時々、反省です。
改めて至らぬところばかりの自分と出会い、かえって落ち込んだりしますが、
一歩、一歩でも改善できたらとの思いで懲りずに読んでいます。
読むというより自問自答と言った方がいいかもしれません。

良寛の辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」だったと思います、
映画「男たちの大和」の中で反町がこの句を話していました。
それで頭に残っているのですが良寛はこの句を晩年、心を通わせた貞心尼に
宛てて詠んだ気がします、私は散っていきますが残った貴女もやがては
散っていくのです、来世は、もっと早く出逢って一緒に生きよう・・・・・と。

良寛といえば「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」と言う句もありました。
これも先の貞心尼に寄せた句と考えることができます。
私の美しい所も醜い所もすべてあなたは知っていますね、
あなたがいてくれて幸せでした。
私の命が尽きるまで、私を貞心尼と言う枝につかまらせて下さい。

自分への戒めを込めて・・・・・戒語。
ことばの多き 物言いの際どき 口の速さ 話の長さ 問わず語り
講釈の長さ 差しで口 ついでなき話 自慢話 公事の話 いさかい話
不思議話 物言いの果てなき 公儀の沙汰 へらず口 人の物言い切らぬうちに物言う
子どもをたらす ことばのたがう たやすく約束する よく心得ぬことを人に教える
事々しく物言う 威喝がましく物言う 引きごとの多き 理(ことわり)の過ぎたる
この人に言うべきことをあの人に言う その事を果たさぬうちにこの事を言う
へつらう事 人の話の邪魔をする 侮る事 しめやかなる座にて心なく物言う
人の隠すことをあからさまに言う ことごとに人のあいさつ聞こうとする
酒に酔いて理を言う 腹を立てる時、理を言う 酒に酔いたる人に理を言う
早まりすぎる 親切らしく物言う おのが氏素性の高きを人に語る
人のことを聞き取らずあいさつする 推し量りのことを真になして言う
悪しきと知りながら言い返す ことば咎め 物知り顔に言う 役人の良し悪し
さしたる事なきを細々と言う 説法の上手下手 見る事、聞くこと一つ一つ言う

このあたりで半分です。
残りはまたの機会に紹介します、自分の胸に聞いてみると
そういうことがあった、そうしてしまっている、反省と自戒が出てきます。

年が明けて気持ちをリセットし、歩き始めたはずですが、
どうも、どこかしっくりこない部分があります。
何がと考えても原因不明で、ゆとりがないかと振り返っても
そんなことはないような、何かを忘れているのかと思い、
周りを見渡しても特別、大きな忘れ物はありません。

気持ちがざわついているような、深く物事を考えられない、
下手な考え休むに似たり・・・・、それは承知していますが、
やはりゆとりがないのか、ゆったりした時間、のんびりした時間、
ボーとした時間はお正月にも結構ありました。

欠けているとすれば「ほっこりした時間」なのかもしれません。
原因がそれであっても、どうすればほっこりできるのか・・・・・。
寒い中を歩いた後に、熱いお茶をよばれ、ほっこり。
気のおけない人と、こたつに入ってみかんでも食べながら
世間話でほっこり・・・・・当分無理。

それに、自分の守りは自分でしなければ・・・・・。

昨日、BSで四国遍路の放映がありました。
お四国病院だ!!!
あー、行きたい、ここだ、ほっこりする場所、でも・・・・もっと無理。

かな・・・・・・・。











  
Posted by いとう茂 at 13:20Comments(0)

2015年01月09日

抜粋のつづり④

お父さんが61歳で亡くなった。
年齢的に自分と重なるところがあり、ついつい
感情移入してしまいました。
同級生でも亡くなっている人が何人かおり「死」が
身近に感じられるようになってきました。

小学校6年の時に同じクラスだった本郷郁子さんという
女の子が亡くなりました、特別、親しいというわけでは
なかったのですがクラスの代表として4・5人で
お参りに行きました。

引っ越しをしていて、刑務所がある大平のあたりまで
バスに乗っていったので覚えている次第です。

どうぞ、だまされたと思って声を出してお読みください。
「最後の晩餐」

病名を告知された瞬間、肩をがっくりと落としたのを、
私は今でも鮮明に覚えている。五年前、父は61歳の若さでこの世を去った。
銀行を定年退職して一ヶ月後に肺にガンが発見され、
1年間の闘病生活を送った。

その闘病生活の末期、いよいよだと悟った父は、
最後は我が家で過ごしたいと言った。
家族全員が集う居間に父のベッドを用意し、
父を囲むようにして家族は最期の数日間を過ごした。

内臓の機能がほとんど動かなくなってしまった父は、
口から食べ物を運ぶ事はできず、点滴で養分を補給していた。
そんな父が「睦美、卵かけご飯が食べたい」
と消え入るような声で私に言った。
「すぐに用意するから」そう答え私は台所へと駆け込んだ。
私は、父の茶碗にご飯を盛りながら、父から聞いたある話を思い出していた。
父が幼い頃、卵は高級品で病気になった時以外は滅多に口にすることができなかったそうだ。

ある日どうしても卵が食べたかった父は仮病を使い、
風邪のふりをして布団に潜り込んだところ、
祖母が卵かけご飯を食べさせてくれたと、
父は私たちに話してくれたことがあった。

その話を思い出した瞬間、
「今の父の病気も仮病だったら・・・・・」
その思いで、私の胸はいっぱいになった。
そして瞳の奥から涙が溢れてきた。
そんな私の姿を見ていた母は、
「泣いちゃダメ。お父さんの前では絶対に」
そう言い、私の肩を優しく叩いた。
「お父さん、卵かけご飯持ってきたよ」
私は、できる限りの笑顔を作り、居間に戻った。
私はスプーンに一口分のご飯をすくい、父の口元に持っていった。
舐める程度の少しのご飯を父は懸命に噛んでいた。
「おいしいよ」
父はそう言いながら一筋の涙を流した。
その涙を見た私たち家族はついに堪えきれなくなり、
父に抱きついて泣いた。

「お父さん仮病だよね?卵かけご飯が食べたいから、
病気のふりをしているんだよね」
私は父に聞いた。
「そうだったらなぁ・・・・・。そうだったらいいな・・・・・」
頼りない声で父ははそう言った。
父のこの病気が仮病であったらいい・・・・・・。
どうか、神様、仮病でありますように・・・・・。
家族の誰もがそう祈った。
その翌日、父は静かに息をひきとった。
父が最後の晩餐に卵かけご飯を選んだのは、
子供の頃、仮病を使って卵かけご飯を食べたように、
この病気も嘘であったら・・・・・と言う一筋の願いからだったのかもしれない。

父が他界して以来、私は卵かけご飯の食べなかった。
父を思い出し切なくなるからだ。
父の5回目の命日、私は卵かけご飯を作った。
箸を口に運び、ご飯を舌に乗せた瞬間、
目頭が熱くなってきた。
私は食べかけの卵かけご飯を、父の仏壇にそっと供えた。


そういえば卵かけご飯も長い間食べていません。
今夜あたりいただくとしょうか、そんなことを思っていますが、
お漬物と味噌汁の一汁一菜で事が済みそうでシンプルな夕食に
なりそうです。

明日から3連休、11日は消防の出初式、12日は成人式と
行事があります、新年会はパラパラ、会議はそれなりに・・・・。




  
Posted by いとう茂 at 12:48Comments(0)

2015年01月08日

生き残りし物

ちょうど4年前になりますが、服や本などの大整理をしました。
着なくなって久しいスーツやセーター、スラックス等。
残ったのはセーターが4枚スーツは10着ほどスラックスも3・4本
だったと思います、本にいたっては本棚3本の本の処分とホームセンターで
1000円までで売っているカラーの3段ボックス、これに本を入れると
前後で2列、100冊はゆっくり入ります、このボックスも5つほど
ありましたが1つに整理し、部屋中本棚だったのが3本まで減り
本は半分以下になりました。

そんな中で生き残った物たちが今も居場所を確保しています。
古い物は20歳の時に買ったハーフコート。
当時、3万円以上したのを覚えていています。
なぜか茶色のチェックのコートでヘチマ襟、山科のセブンと言う洋品店で
買ったのですが、1回で払えず2回に分けてお金を払いました。
確か茶色とブルーの2色があり茶色を選んだ覚えがあります。

茶色と言えば成人式用に作ったスーツもこげ茶色でした。
ノーベンツのバギースーツ、これも思い出の品として生き残っています。
今でも茶色のスーツは持っていないのに、どうしてこの頃は
茶色を着ていたのか・・・・・不思議。

どういった勧め方をされてこのコートを買ったのかは忘れましたが、
虫にも喰われずサイズ的にもゆったりしていて今でも着られます、
ある時、上の娘の「お父さん可愛いの着てるやん」、その一言で
時々着ています・・・・・親父もおだてりゃ・・・・・。

4枚残ったセーターのうち、お気に入りの黒のカシミアは、かれこれ30年前の
もので、毎年、毎年着ていますので肘の所と袖口が薄破れして肘には
黒の皮を自分で張り付けて今でも着ています。
軽くて暖かければ見場は・・・・・。
さらにひどいのはチャコールのセーターです、これは黒よりも
少し前に買った初めてのカシミアです、ひどいと言うのは管理が悪く
肩や胸に虫喰いがあり穴が開いています、糸で縫ってもらい釣りや
四国を歩くときに来ています、家でも時々着るのですが、総じて家族には
不評ですが軽くて暖かく何より肩が凝らないので手放せません。

名誉のために言っておきますが、いつも破れたものを着ているのではありません。
4年の間に黒とチャコールのセーターが増えています。

体型は40年前と身長がちょっと縮んだのとウエストが数センチ太くなった
くらいで体重はほぼ同じで当時の洋服は着られます。
10年ほど前から少しずつ体重を減らし始めて8キロほど減ったので
ウエストも5センチほど細くなり今の体型になっています。

生き残った物は自分が日常、使うものが主で飾ってあるものは少なく
使い込んでいる分、愛着もあります、使い慣れてくたびれている
黒のセーターは棺に入れて持っていこうと考えています。

長く使っているものを見ていると、気に入っているのはほとんどが
「昭和」のもので時代を感じるとともに、当時の生活や自分が
蘇ります、平成も27年と言うのに、まだまだ昭和を引きずり
平成に馴染めない自分に苦笑です。

昨夜は和太鼓の練習でした、練習が終わり外に出ると風が強く
見上げた月は朧でした、明日は雪かと思って休みましたが
目が覚めると残念ながら雪国ではありませんでした。
それでも気温は低くて、キュッと身の締まる感があり「寒」を十分
楽しみながら緑のお爺さんをしていました。

午後からは政策検討会議です、いじめの防止に関する条例の
改正について各会派から意見が出され、活発な議論になりそうです。
  
Posted by いとう茂 at 12:22Comments(0)

2015年01月07日

春の七草

寒に入り寒さが一段と厳しくなる時期です、
今日は少し暖かい気がしますが、天気予報では
寒さが厳しくこれから北海道や東北では大雪とのことです。
自分の体の感覚がおかしいのか・・・・・。

学校も3学期に入り、緑のお爺さんも復活です。
冬休みの宿題を抱えた小学生も大勢いました。
カーブミラーにトラックがぶつかったのでしょうか
かなり強くあたったようで裏側を向いていました、
通勤の幼稚園の先生や近所の奥さんも気が付いていたようで
早速、建設部の方に直していただくようお願いしておきました。

見通しが悪い直角の交差点ですので事故も時々あります、
子どもだけでなく人が巻き込まれての事故があっては大変です。

今日7日は五節句の一つ「人日の節句」です。
他は3月3日桃の節句、5月5日端午の節句、菖蒲の節句、
7月7日七夕、9月9日重陽の節句、3月3日は桃の節句と違う
呼び名がありますが忘れてしまいました。

1月7日以外は月と同じ日ですが1月だけ違います、
これの理由も・・・・・申し訳ありません。

そして今日は七草粥を食べる日になっています。
こちらも勉強不足で、どうしてお粥なのか・・・・・。
お正月に飲み過ぎて胃の調子が悪いので、ここらで
お粥でも食べて元気になろう。
まさか、そんな理由ではないでしょう。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、
スズナ、スズシロ、こちらは順番で覚えていますので
出てきます、順番が違うと語呂が整わないず出てきません。
ただ、ホトケノザとかゴギョウってどんな形といわれても
出てきません、鰯の頭も信心から、ありがたいと思って
食べることに意味がある、そう思っておきます。

秋にも七草があります、ススキ、オミナエシ、キキョウ、
ハギ、ナデシコ、クズ・・・・・あと一つ、ネットは便利です、
フジバカマでした。
こちらは食べられません。

日本には四季があり季節の区別がはっきりしています、
それだから昔の人たちは、色々な行事を行いその時々に
無病息災を祈り、今日、今の健康を感謝していたのでしょう。
裏を返せば「生きる」ということが日々の大きな課題だった、
今のように少し調子が悪いと病院へ行き、1年に一度は精密検査、
治療と予防の医学も庶民には縁のない時代の中で
先人の英知のエッセンスが現在にも伝わっている、
形だけでなく歴史やいわれも知っておくべきでしょう。

それが何の意味を持つのかと言う声も聞こえてきそうですが。
当たり前が当たり前でなく神頼み、仏頼みしか、すがるものがなかった時代です。
今年は終戦70年、阪神淡路大震災から20年、
そういう節目の年だから生きていることの意義と感謝、
そのことを様々な角度、切り口から考えてみるのも重要な
事だと感じています。





  
Posted by いとう茂 at 13:02Comments(0)