2015年01月16日
そろそろ.
そろそろ2月の通常会議の準備です。
2月は交渉会派の代表質問もあります、大所・高所から
大津市政の課題や市政運営の提案等が行われます。
会派の一般質問の項目の締め切りは1月30日です、
その後、質問が重なる場合は調整があります。
会派の質問文の締め切りは2月9日、つまり、10日ほどで
作成しなければなりません、今月中に材料を集めておいて
重ならなければヨーイドンで走り出すことになります、
ただ、質問作成だけにかかっていられない部分がありますので
時間配分には気をつけたいと思います。
1期4年の最後の通常会議、最後の一般質問です。
振り返ると15回の通常会議があり、15回一般質問を
行ってきました、形になったもの、ならなかったもの、
種だけ蒔けたもの等々、いろいろな質問がありました。
日本語の難解なところを改めて感じることもしばしばでした。
「研究します」「検討します」。
何度も言われました・・・・・。
時間を置いて改めて質問を行い検討の結果を検証することを
忘れてはいけません。
一応3問、3本の柱は決まっています、重ならなければ
これで質問文を考えたいと思っています。
担当課に足を運びいろいろな情報収集をしている途中です。
質問をしょうと思うとそれなりにさまざまな事を勉強したり
文献に目を通さなければいけません、それが結構身につくものです。
職員の方はそれぞれがエキスパートです、議員といってもすべてを
知っているわけではありません、研修会や一般質問の下調べ等も
議員としての根っこを太くするものです。
人生経験で対応できることもあれば専門知識がないと
対応できないこともあります。
人生経験は主観的になりやすく、論理的な説明や提案力に
欠ける部分がありますが、人としての情が伝わる部分があり、
専門知識は論理的、簡潔な説明ができますが、心の
琴線に触れるという点では劣る部分があります。
今日はこれからいじめ防止条例の見直しについて
政策検討会議が開催されます、前回の会議終了後
資料が配布されましたので、一通り目を通しておきました。
委員全員から意見を聴かれるためにしっかりした思いを
持っていないと蚊帳の外になります。
どちらかと言うと経験則が有効ですが、論理的な部分も
不可欠です。
阪神淡路大震災から明日で20年です。
もう20年、まだ20年。
皆さんはどちらでしょう。
どちらにしても経験したことを忘れず、そして、新しい世代に
伝えて防災意識の高揚をはかる義務が私たちにはあります。
さらにいえば、私たち自身が足元を見つめなおす必要があります。
2月は交渉会派の代表質問もあります、大所・高所から
大津市政の課題や市政運営の提案等が行われます。
会派の一般質問の項目の締め切りは1月30日です、
その後、質問が重なる場合は調整があります。
会派の質問文の締め切りは2月9日、つまり、10日ほどで
作成しなければなりません、今月中に材料を集めておいて
重ならなければヨーイドンで走り出すことになります、
ただ、質問作成だけにかかっていられない部分がありますので
時間配分には気をつけたいと思います。
1期4年の最後の通常会議、最後の一般質問です。
振り返ると15回の通常会議があり、15回一般質問を
行ってきました、形になったもの、ならなかったもの、
種だけ蒔けたもの等々、いろいろな質問がありました。
日本語の難解なところを改めて感じることもしばしばでした。
「研究します」「検討します」。
何度も言われました・・・・・。
時間を置いて改めて質問を行い検討の結果を検証することを
忘れてはいけません。
一応3問、3本の柱は決まっています、重ならなければ
これで質問文を考えたいと思っています。
担当課に足を運びいろいろな情報収集をしている途中です。
質問をしょうと思うとそれなりにさまざまな事を勉強したり
文献に目を通さなければいけません、それが結構身につくものです。
職員の方はそれぞれがエキスパートです、議員といってもすべてを
知っているわけではありません、研修会や一般質問の下調べ等も
議員としての根っこを太くするものです。
人生経験で対応できることもあれば専門知識がないと
対応できないこともあります。
人生経験は主観的になりやすく、論理的な説明や提案力に
欠ける部分がありますが、人としての情が伝わる部分があり、
専門知識は論理的、簡潔な説明ができますが、心の
琴線に触れるという点では劣る部分があります。
今日はこれからいじめ防止条例の見直しについて
政策検討会議が開催されます、前回の会議終了後
資料が配布されましたので、一通り目を通しておきました。
委員全員から意見を聴かれるためにしっかりした思いを
持っていないと蚊帳の外になります。
どちらかと言うと経験則が有効ですが、論理的な部分も
不可欠です。
阪神淡路大震災から明日で20年です。
もう20年、まだ20年。
皆さんはどちらでしょう。
どちらにしても経験したことを忘れず、そして、新しい世代に
伝えて防災意識の高揚をはかる義務が私たちにはあります。
さらにいえば、私たち自身が足元を見つめなおす必要があります。
Posted by いとう茂 at
12:23
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2015年01月15日
抜粋のつづり⑤
弘法は筆を選ばずと言う言葉がありますが、
凡人は筆を選ぶべきと言うのが持論です。
我が意を得たりと言う文章に出会いましたので紹介します。
筆記具に限らず色々な分野で通用する考え方だと思います。
確かにその時の出費は大きいものがあり、経済的に無理だと言う
考え方も理解できますが、例えば、古美術商、いわゆる骨董屋さんは
後継ぎには子どものころから本物を見せて目の訓練を行うという
話を聞いたことがあります。
これも、紹介する万年筆の教えに通じる考え方だと思います。
安物買いの銭失い、そんな言葉もありましたが、ケチるところはケチる、
金をかけるところはかけると言ったメリハリも大切だと思います。
価値観は人それぞれ違います。
ドラマを見ていたり読書をしていて、どんなところで笑うか、
どんなところに興味を持つかでその人の知的レベルがわかると言います。
知的レベルは別にして周囲に迷惑を掛けないのなら、その人の価値感は
尊重すべきです、人心の同じからずは、その顔の如し・・・・です。
孫が語るメイ牛山「万年筆の教え」
祖母メイ牛山が亡くなって4年。
昨年12月13日の命日には多くの方々からご挨拶をいただき、
祖母の大きさを改めて感じました。
生前、私と妻とがお手伝いをしてアップしていた祖母のブログには
亡くなった後も多くのアクセスがあります。
故人のブログが残っていて、しかも反響がある。
他には例がないと聞きました、現代の若い女性たちが祖母の
残した言葉から何かを感じ取って今を生きる糧にしてくれている。
本当にありがたく思うと同時に、祖母の偉大さを改めて感じています。
今、私は祖母の仕事の原点であるハリウッドビューティサロンの
代表をしています、サロンには祖母が最後まで愛用した文机があり
筆記用具もそのまま残してあります。
私は、これを見るたび祖母から教えられた多くのことを思い出します。
それは決して精神論ではなく、美容師と言う技術者であることに、
誇りを持っていた祖母らしい実践的な教えでした。
私が祖母の下で仕事を始めた頃のことです、「あなたは字が汚いわね、
今日からこれを使いなさい」そう言って渡されたのは立派な万年筆でした。
私は大学卒業後、10年程アメリカで暮らしました、
向こうの大学を出てそのまま現地のデザイン事務所で仕事をしていたのです。
アメリカはタイプ文化の国ですから意外と大人の字が汚い、
また、筆記具は最近では安くても良いペンが結構あるので、それで十分と考えていました。
「100円のボールペンでは100円の字しか書けないのよ、
良いペンを使えば自然とゆっくり、丁寧に、きれいに書こうと言う気になるでしょう。
良いペンは先の太さ、硬さ、インクなど選んで考えるでしょう、
そこで、こだわりが生まれ自分らしい事を書こうと言う気にもなるなよ。
字はね、心が出るのよ。
汚い字だと人間も安く見られます、逆に立派な人間は立派な字を書くのよ、
ペンも書道と同じね」
実際、その万年筆を使い始めてみると、自然と背筋が伸び自分の字が
普段と違ってくるのに気が付きます。
結婚式やお葬式の芳名帳など自分の名前を書く機会は社会人になると
意外と増えてきます、その時、横に著名な方があまり上手と言えない字で
名前を書いていると、ちょっと残念な気がします。
立ったまま自分の名前を書く練習をしたり、いい字を真似る練習等は
祖母のアイディアでした、ハリウッド化粧品の創業者である祖父清人は
大きく力溢れる字を書いていました。
祖父母が書いた社訓などは力強く見栄えがし、情熱が伝わってきます。
祖母が亡くなり後を継いで社長になってみると契約書等サインをする機会が増えました、
そのたびに万年筆を握り、この字で自分は値踏みされているのだと思いながら、
一画一画に気合を込めて自分の名前を書くようになりました。
そうやって、字をきちんと書く習慣が身についてくると、
おのずと中身もきちんとしてくるものではないでしょうか。
手紙をパソコンや安い事務用ペンで書いていたのを万年筆にかえると、
相手に何を伝えたいのかどういう印象を持ってもらいたいのか
じっくり考えて書くようになります。
祖父母は「手書きの葉書や手紙は時間がかかるし、失敗すると書き直さなくては
いけない、だから良いのよ。時間をかけて推敲した文章だから、
相手の心に届くのよ、ラブレターなんか一発で書かないでしょ」
なんて茶目っ気たっぷりに若手を指導をしていました。
祖母は、時間をかけるということの大切さをよく知っていました。
若い頃、アメリカ式の利用美容法を学び、それを日本に持ち込むことで
成功した祖母ですが、すぐに美しくなることを命題にしたアメリカ式のやり方より
実は時間をかけることで美しくなる過程を楽しむ方が、
本当の美しさに到達する道だと考えていました、それがメイ牛山式の美容論でした。
本人はすごくアイディア溢れ忙しく見える人でしたが、
「本物の美は時間をかけて、美を楽しむ、ゆっくりとした時間が作るもの」
と言う哲学を持っていました、例えば買い物はショーウインドーを眺め、
何ヶ月も買おうか買うまいか悩むから楽しいし、買っても思い出になり大切にします。
インターネットでホイホイ購入すると「消費」であって買い物ではないとも言っていました。
すぐに手に入ったものは、すぐになくなる、美容も時間をかけて美しくなるのを
楽しむと、心から美しい人間になるとよく言っていました。
人と人とのコミュニケーションは、時間をかけるべきところでしょう。
しかしそういう言い方では、心に残らないし実践しょうと言う気になりません。
祖母は一本の万年筆を渡しながら、多くを語らず、私にそのことを教えてくれたのだと思います。
今、私も20代の若い社員たちに、お客様や諸先輩へ手紙を書くときは
100円のペンではなく、必ず高価な良いペンを使いなさいと指導をしています。
半信半疑な社員も実践して初めて「やはり反応が違い間違いますね」といいます。
今も上着に差している万年筆を使うときは祖母の「ほらね」と言いたげな笑顔がよみがえってきます。
私のお気に入りのモンブラン、お世辞でも字がうまいとは言ってもらえません、
でも、どこか懐かしさがあるとか伊藤君らしい字だとは言われます。
万年筆は、ささやかなこだわりと言うか趣味です、
書く内容や書く相手で万年筆を変えてみる、
そんなことで自分自身が緊張したり楽しんだりして
気分転換や生活にメリハリをつけている部分を実感しています。
凡人は筆を選ぶべきと言うのが持論です。
我が意を得たりと言う文章に出会いましたので紹介します。
筆記具に限らず色々な分野で通用する考え方だと思います。
確かにその時の出費は大きいものがあり、経済的に無理だと言う
考え方も理解できますが、例えば、古美術商、いわゆる骨董屋さんは
後継ぎには子どものころから本物を見せて目の訓練を行うという
話を聞いたことがあります。
これも、紹介する万年筆の教えに通じる考え方だと思います。
安物買いの銭失い、そんな言葉もありましたが、ケチるところはケチる、
金をかけるところはかけると言ったメリハリも大切だと思います。
価値観は人それぞれ違います。
ドラマを見ていたり読書をしていて、どんなところで笑うか、
どんなところに興味を持つかでその人の知的レベルがわかると言います。
知的レベルは別にして周囲に迷惑を掛けないのなら、その人の価値感は
尊重すべきです、人心の同じからずは、その顔の如し・・・・です。
孫が語るメイ牛山「万年筆の教え」
祖母メイ牛山が亡くなって4年。
昨年12月13日の命日には多くの方々からご挨拶をいただき、
祖母の大きさを改めて感じました。
生前、私と妻とがお手伝いをしてアップしていた祖母のブログには
亡くなった後も多くのアクセスがあります。
故人のブログが残っていて、しかも反響がある。
他には例がないと聞きました、現代の若い女性たちが祖母の
残した言葉から何かを感じ取って今を生きる糧にしてくれている。
本当にありがたく思うと同時に、祖母の偉大さを改めて感じています。
今、私は祖母の仕事の原点であるハリウッドビューティサロンの
代表をしています、サロンには祖母が最後まで愛用した文机があり
筆記用具もそのまま残してあります。
私は、これを見るたび祖母から教えられた多くのことを思い出します。
それは決して精神論ではなく、美容師と言う技術者であることに、
誇りを持っていた祖母らしい実践的な教えでした。
私が祖母の下で仕事を始めた頃のことです、「あなたは字が汚いわね、
今日からこれを使いなさい」そう言って渡されたのは立派な万年筆でした。
私は大学卒業後、10年程アメリカで暮らしました、
向こうの大学を出てそのまま現地のデザイン事務所で仕事をしていたのです。
アメリカはタイプ文化の国ですから意外と大人の字が汚い、
また、筆記具は最近では安くても良いペンが結構あるので、それで十分と考えていました。
「100円のボールペンでは100円の字しか書けないのよ、
良いペンを使えば自然とゆっくり、丁寧に、きれいに書こうと言う気になるでしょう。
良いペンは先の太さ、硬さ、インクなど選んで考えるでしょう、
そこで、こだわりが生まれ自分らしい事を書こうと言う気にもなるなよ。
字はね、心が出るのよ。
汚い字だと人間も安く見られます、逆に立派な人間は立派な字を書くのよ、
ペンも書道と同じね」
実際、その万年筆を使い始めてみると、自然と背筋が伸び自分の字が
普段と違ってくるのに気が付きます。
結婚式やお葬式の芳名帳など自分の名前を書く機会は社会人になると
意外と増えてきます、その時、横に著名な方があまり上手と言えない字で
名前を書いていると、ちょっと残念な気がします。
立ったまま自分の名前を書く練習をしたり、いい字を真似る練習等は
祖母のアイディアでした、ハリウッド化粧品の創業者である祖父清人は
大きく力溢れる字を書いていました。
祖父母が書いた社訓などは力強く見栄えがし、情熱が伝わってきます。
祖母が亡くなり後を継いで社長になってみると契約書等サインをする機会が増えました、
そのたびに万年筆を握り、この字で自分は値踏みされているのだと思いながら、
一画一画に気合を込めて自分の名前を書くようになりました。
そうやって、字をきちんと書く習慣が身についてくると、
おのずと中身もきちんとしてくるものではないでしょうか。
手紙をパソコンや安い事務用ペンで書いていたのを万年筆にかえると、
相手に何を伝えたいのかどういう印象を持ってもらいたいのか
じっくり考えて書くようになります。
祖父母は「手書きの葉書や手紙は時間がかかるし、失敗すると書き直さなくては
いけない、だから良いのよ。時間をかけて推敲した文章だから、
相手の心に届くのよ、ラブレターなんか一発で書かないでしょ」
なんて茶目っ気たっぷりに若手を指導をしていました。
祖母は、時間をかけるということの大切さをよく知っていました。
若い頃、アメリカ式の利用美容法を学び、それを日本に持ち込むことで
成功した祖母ですが、すぐに美しくなることを命題にしたアメリカ式のやり方より
実は時間をかけることで美しくなる過程を楽しむ方が、
本当の美しさに到達する道だと考えていました、それがメイ牛山式の美容論でした。
本人はすごくアイディア溢れ忙しく見える人でしたが、
「本物の美は時間をかけて、美を楽しむ、ゆっくりとした時間が作るもの」
と言う哲学を持っていました、例えば買い物はショーウインドーを眺め、
何ヶ月も買おうか買うまいか悩むから楽しいし、買っても思い出になり大切にします。
インターネットでホイホイ購入すると「消費」であって買い物ではないとも言っていました。
すぐに手に入ったものは、すぐになくなる、美容も時間をかけて美しくなるのを
楽しむと、心から美しい人間になるとよく言っていました。
人と人とのコミュニケーションは、時間をかけるべきところでしょう。
しかしそういう言い方では、心に残らないし実践しょうと言う気になりません。
祖母は一本の万年筆を渡しながら、多くを語らず、私にそのことを教えてくれたのだと思います。
今、私も20代の若い社員たちに、お客様や諸先輩へ手紙を書くときは
100円のペンではなく、必ず高価な良いペンを使いなさいと指導をしています。
半信半疑な社員も実践して初めて「やはり反応が違い間違いますね」といいます。
今も上着に差している万年筆を使うときは祖母の「ほらね」と言いたげな笑顔がよみがえってきます。
私のお気に入りのモンブラン、お世辞でも字がうまいとは言ってもらえません、
でも、どこか懐かしさがあるとか伊藤君らしい字だとは言われます。
万年筆は、ささやかなこだわりと言うか趣味です、
書く内容や書く相手で万年筆を変えてみる、
そんなことで自分自身が緊張したり楽しんだりして
気分転換や生活にメリハリをつけている部分を実感しています。
Posted by いとう茂 at
22:56
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2015年01月14日
こんな私にでも・・・できることがある。
来週の19日ですが、市役所に採血車が来ます。
今回も体調が良ければ協力したいと思っています。
この前まで、市役所の職員が献血に行く時は、
時間休をとって行きなさいと言う縛りがありましたが、
昨年、9月通常会議の一般質問で、
全体の奉仕者である公務員が身を削って協力する
献血が自分の給料を削って行くことはおかしい。
他の多くの自治体では献血は職務に専念する義務の
免除となっている。
大津市はなぜ職務専念義務を免除しないのか。
そんな質問をして条例の運用規定が変わり、職務中の
献血が休暇ではなく、職務専念義務の免除として扱われることになりました。
実際に調べてみると東京都、横浜、静岡、金沢、高知や、ほかの
いくつかの県、市の職務規定の免除事項に骨髄移植や
献血は明記されています。
平成7年の9月30日だったと思いますが、大阪の
高石で商工会議所青年部の近畿ブロック大会がありました。
この時の献血が50回目だったのを覚えています、
第1回目は30歳の時ですから昭和59年か60年、
当時は400の献血はなく200だけでした、1年に最大6回の
献血が可能でしたが、わざわざ献血ルームまで出向くことはなく、
膳所駅か西武百貨店に採血車が来た時だけ協力していました。
それでも1985年ころから約10年で50回、途中から400の
献血でハンコが二つそんな時期がありましたので実際は
50回も献血はしていません、その後は200も400も成分献血も
ハンコは一つになり400だと1年に3回しか協力できません。
50回の平成7年から20年、1年に最大3回ですので
本来なら100回を超えているはずですが、94回。
伏見の大手筋にある献血ルームにも仕事のついでに
よく行きました、草津の献血ルームにも何度か足を
運びましたが・・・・・。
血液はまさに生き物です、血小板は特に使える期間が
短くて4・5日だと聞いたことがあります。
交通事故などの突発的なものより病院の手術で使用される
血液の方が圧倒的に多いのです。
市民病院を抱える市として血液の安定供給は責務です。
その一端でも担えるのなら、と感じています。
骨髄移植は年齢制限が54歳以下となっていますので
もう提供者にはなれません。
でも、献血はこのまま健康であれば68・9歳まで可能です。
若者の献血離れも激しいと聞きます、私にでも役に立つこと、
大げさに言えば「無言の奉仕」、そんな立派なものでは・・・・・。
誰かのためになるのなら・・・・それでいい。
今回も体調が良ければ協力したいと思っています。
この前まで、市役所の職員が献血に行く時は、
時間休をとって行きなさいと言う縛りがありましたが、
昨年、9月通常会議の一般質問で、
全体の奉仕者である公務員が身を削って協力する
献血が自分の給料を削って行くことはおかしい。
他の多くの自治体では献血は職務に専念する義務の
免除となっている。
大津市はなぜ職務専念義務を免除しないのか。
そんな質問をして条例の運用規定が変わり、職務中の
献血が休暇ではなく、職務専念義務の免除として扱われることになりました。
実際に調べてみると東京都、横浜、静岡、金沢、高知や、ほかの
いくつかの県、市の職務規定の免除事項に骨髄移植や
献血は明記されています。
平成7年の9月30日だったと思いますが、大阪の
高石で商工会議所青年部の近畿ブロック大会がありました。
この時の献血が50回目だったのを覚えています、
第1回目は30歳の時ですから昭和59年か60年、
当時は400の献血はなく200だけでした、1年に最大6回の
献血が可能でしたが、わざわざ献血ルームまで出向くことはなく、
膳所駅か西武百貨店に採血車が来た時だけ協力していました。
それでも1985年ころから約10年で50回、途中から400の
献血でハンコが二つそんな時期がありましたので実際は
50回も献血はしていません、その後は200も400も成分献血も
ハンコは一つになり400だと1年に3回しか協力できません。
50回の平成7年から20年、1年に最大3回ですので
本来なら100回を超えているはずですが、94回。
伏見の大手筋にある献血ルームにも仕事のついでに
よく行きました、草津の献血ルームにも何度か足を
運びましたが・・・・・。
血液はまさに生き物です、血小板は特に使える期間が
短くて4・5日だと聞いたことがあります。
交通事故などの突発的なものより病院の手術で使用される
血液の方が圧倒的に多いのです。
市民病院を抱える市として血液の安定供給は責務です。
その一端でも担えるのなら、と感じています。
骨髄移植は年齢制限が54歳以下となっていますので
もう提供者にはなれません。
でも、献血はこのまま健康であれば68・9歳まで可能です。
若者の献血離れも激しいと聞きます、私にでも役に立つこと、
大げさに言えば「無言の奉仕」、そんな立派なものでは・・・・・。
誰かのためになるのなら・・・・それでいい。
Posted by いとう茂 at
13:00
│Comments(0)
2015年01月13日
雅の世界
昨日は午前中は成人式に出席し、午後からは
生涯学習センターの大ホールで「和楽わくわく体験」に
参加してきました。
5月のお祭りの時に笙(しょう)や篳篥(ひちりき)を聞くことはありますが、
改めてステージでの演奏を聴く機会はありませんでした。
昔話の「三枚のお札」の映像に合わせて琴と三味線、尺八の
演奏がありナレーターの声も良く、映像と演奏に
引き込まれました、こうした取り組みなら小さい子どもも
楽しく雅楽に親しむことができると思います。。
まさに雅、宮中にいるような気分でした。
演奏している方が若いのも驚きで、私より年上はわずかで
20・30代の人が主でした。
11日に消防団の新年会があり、その場で元団長の方から
誘われ、参加となりました。
大相撲の序の口、千秋楽は雅楽から出た言葉であると
学習センターの所長から説明があり新しい知識を得ました。
それと、琴瑟相和(きんしつあいわす)聞きなれない言葉ですので
ネットで検索しました。
琴と瑟(大きい琴)の音がよく調和するように、夫婦の仲がよいこと。「琴瑟調和」ともいう。
『詩経』に「妻子好合(こうごう)し、琴瑟を鼓(こ)する(弾(ひ)く)が如(ごと)し」
(妻や子が睦(むつ)み合い、琴と瑟とを合わせ弾くように仲がよい)とある。
これは妻子についての喩えだが、「窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ)は
琴瑟もて之(これ)を友(とも)とす」(しとやかな淑(よ)き女(むすめ)は、
琴と瑟とを奏(かな)でつつ友〈妻〉となる)という句もある。これは夫婦の仲を喩える。
琴はふつう7絃、瑟は25絃で合奏する。
今では夫婦仲のよいのをいう語になった。
「琴瑟不調(調(ととの)わず)」というと、夫婦が仲違(なかたが)いすることである。
と、言う意味ですが我が足元を見ると、琴瑟不調・・・・・音がバラバラ・・・・。
演奏の後は体験コーナーということで観客が実際に楽器の
演奏を行う時間が来ました、せっかくゆったりした気分でいるのに
楽器を持たされて脂汗では、ゆったりがぐったりに変わります。
そこで、ここは退散と勝手に決めて抜けました。
ずっと聴いている方がほっこりした気持ちでいられたと思いますが、
和楽の普及を考えるとこうした機会を設定するのも仕方がないことです、
参加者は5・60名と少し寂しかったのですがこうした演奏会を
今後もぜひ継続していただきたいと思います。
今日はこれから例会に出席してきます。
午前中は各課に色々とお願いがあり回ってきました。
この前も道路の陥没とカーブミラーにトラックが追突したのか
曲がっていましたので修復をお願いしたところすぐに対応していただき
助かりました、カーブミラーのあるところで毎日、緑のお爺さんを
していますので、子どもたちや車が全く見えず2日ほど苦労しましたが
新しいカーブミラーで視界も良くなり事故が起きることもありません。
3時から県庁で打ち合わせがあります、大津市の中のことでも
管轄が滋賀県ということは多くあり、市民からの要望、苦情の窓口に
なっても対応は滋賀県にお願いしなければならず、市民の方と
県にお願いに行かなくてはなりません、私が聞いて県会議員につなぎ
県会議員と市民、私で担当課で説明を聞いてきます。
夜は気のおけない仲間と毎年恒例の新年会です、久しぶりに会う友あり
しょっちゅう出会う友あり、あまり羽目を外すと明日に響きますから
ホドホドに・・・・・。
生涯学習センターの大ホールで「和楽わくわく体験」に
参加してきました。
5月のお祭りの時に笙(しょう)や篳篥(ひちりき)を聞くことはありますが、
改めてステージでの演奏を聴く機会はありませんでした。
昔話の「三枚のお札」の映像に合わせて琴と三味線、尺八の
演奏がありナレーターの声も良く、映像と演奏に
引き込まれました、こうした取り組みなら小さい子どもも
楽しく雅楽に親しむことができると思います。。
まさに雅、宮中にいるような気分でした。
演奏している方が若いのも驚きで、私より年上はわずかで
20・30代の人が主でした。
11日に消防団の新年会があり、その場で元団長の方から
誘われ、参加となりました。
大相撲の序の口、千秋楽は雅楽から出た言葉であると
学習センターの所長から説明があり新しい知識を得ました。
それと、琴瑟相和(きんしつあいわす)聞きなれない言葉ですので
ネットで検索しました。
琴と瑟(大きい琴)の音がよく調和するように、夫婦の仲がよいこと。「琴瑟調和」ともいう。
『詩経』に「妻子好合(こうごう)し、琴瑟を鼓(こ)する(弾(ひ)く)が如(ごと)し」
(妻や子が睦(むつ)み合い、琴と瑟とを合わせ弾くように仲がよい)とある。
これは妻子についての喩えだが、「窈窕(ようちょう)たる淑女(しゅくじょ)は
琴瑟もて之(これ)を友(とも)とす」(しとやかな淑(よ)き女(むすめ)は、
琴と瑟とを奏(かな)でつつ友〈妻〉となる)という句もある。これは夫婦の仲を喩える。
琴はふつう7絃、瑟は25絃で合奏する。
今では夫婦仲のよいのをいう語になった。
「琴瑟不調(調(ととの)わず)」というと、夫婦が仲違(なかたが)いすることである。
と、言う意味ですが我が足元を見ると、琴瑟不調・・・・・音がバラバラ・・・・。
演奏の後は体験コーナーということで観客が実際に楽器の
演奏を行う時間が来ました、せっかくゆったりした気分でいるのに
楽器を持たされて脂汗では、ゆったりがぐったりに変わります。
そこで、ここは退散と勝手に決めて抜けました。
ずっと聴いている方がほっこりした気持ちでいられたと思いますが、
和楽の普及を考えるとこうした機会を設定するのも仕方がないことです、
参加者は5・60名と少し寂しかったのですがこうした演奏会を
今後もぜひ継続していただきたいと思います。
今日はこれから例会に出席してきます。
午前中は各課に色々とお願いがあり回ってきました。
この前も道路の陥没とカーブミラーにトラックが追突したのか
曲がっていましたので修復をお願いしたところすぐに対応していただき
助かりました、カーブミラーのあるところで毎日、緑のお爺さんを
していますので、子どもたちや車が全く見えず2日ほど苦労しましたが
新しいカーブミラーで視界も良くなり事故が起きることもありません。
3時から県庁で打ち合わせがあります、大津市の中のことでも
管轄が滋賀県ということは多くあり、市民からの要望、苦情の窓口に
なっても対応は滋賀県にお願いしなければならず、市民の方と
県にお願いに行かなくてはなりません、私が聞いて県会議員につなぎ
県会議員と市民、私で担当課で説明を聞いてきます。
夜は気のおけない仲間と毎年恒例の新年会です、久しぶりに会う友あり
しょっちゅう出会う友あり、あまり羽目を外すと明日に響きますから
ホドホドに・・・・・。
Posted by いとう茂 at
11:25
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2015年01月12日
成人式
今日は1月12日、成人式がありました。
大津市では3516名の新成人が誕生しました。
平成7年生まれということで式辞の中でも阪神淡路大震災の
話題も出ました、親父が亡くなったのもこの年で
この4月には20年になります。
紋付はかまの男性もちらほら、女性は圧倒的に
振袖でした、着物の値踏みをすることは余り褒められたことでは
ありませんが、職業柄ついつい・・・・・。
晴れの日に輝く笑顔でいられるのなら着物の柄は
関係ありません、今日のあの時間にあの場所で
成人式があったということだけは覚えていて欲しいと思います。
私は家から歩いてプリンスホテルまで行きました、例年、
成人式に行く車で込み合い時間がかかるのと来年の新春マラソンの
ために足腰を鍛えておかないと、そんな思いで歩いたのですが、
途中から雪が舞い始めました、なぎさ公園を歩いたのですが
水鳥も琵琶湖から上がって岸に何羽かいます、
いくら水鳥といっても、ずっと水の中では寒いのだろう・・・・
勝手な想像をしながらブラブラ20分余りで到着です。
気温はそれほど低くなく雪が気になりましたが吹雪とはいえない
はらはら程度でしたのでコートも濡れずにすみました。
帰りも歩いてで往復で4キロ強といったところです。
車より早く着いたかもしれません。
この前「抜粋のつづり」から「最後の晩餐」という文章を
アップしました、61歳で亡くなった父親が最後に卵かけご飯が
食べたいと言い、娘さんが作って一口食べさせ、翌日父親は
他界するのです。
年齢的にも近いので人事と思えず我がことのように感じました。
そのブログを読んだ方からお漬物を送っていただきました、
昨年は家では鯖の味噌煮を作らないと書いたら、鯖の味噌煮も
送っていただいた方です。
それで、昼に、いただいたお漬物と卵かけご飯を食べました、
これが私の最後の晩餐ならぬ昼食にならないことを・・・・・・。
これから和楽のコンサートに行ってきます、琴、笙、尺八など
日本古来の楽器の演奏会です。
どんなものか想像もつきませんし、和楽に造詣が深いこともないのですが、
一応和太鼓もやっていますし好奇心を持つことはいいことだと思いますので
出かけます、詳細はまたの機会に・・・・。
まさか居眠りはしないと思いますが・・・・・。
大津市では3516名の新成人が誕生しました。
平成7年生まれということで式辞の中でも阪神淡路大震災の
話題も出ました、親父が亡くなったのもこの年で
この4月には20年になります。
紋付はかまの男性もちらほら、女性は圧倒的に
振袖でした、着物の値踏みをすることは余り褒められたことでは
ありませんが、職業柄ついつい・・・・・。
晴れの日に輝く笑顔でいられるのなら着物の柄は
関係ありません、今日のあの時間にあの場所で
成人式があったということだけは覚えていて欲しいと思います。
私は家から歩いてプリンスホテルまで行きました、例年、
成人式に行く車で込み合い時間がかかるのと来年の新春マラソンの
ために足腰を鍛えておかないと、そんな思いで歩いたのですが、
途中から雪が舞い始めました、なぎさ公園を歩いたのですが
水鳥も琵琶湖から上がって岸に何羽かいます、
いくら水鳥といっても、ずっと水の中では寒いのだろう・・・・
勝手な想像をしながらブラブラ20分余りで到着です。
気温はそれほど低くなく雪が気になりましたが吹雪とはいえない
はらはら程度でしたのでコートも濡れずにすみました。
帰りも歩いてで往復で4キロ強といったところです。
車より早く着いたかもしれません。
この前「抜粋のつづり」から「最後の晩餐」という文章を
アップしました、61歳で亡くなった父親が最後に卵かけご飯が
食べたいと言い、娘さんが作って一口食べさせ、翌日父親は
他界するのです。
年齢的にも近いので人事と思えず我がことのように感じました。
そのブログを読んだ方からお漬物を送っていただきました、
昨年は家では鯖の味噌煮を作らないと書いたら、鯖の味噌煮も
送っていただいた方です。
それで、昼に、いただいたお漬物と卵かけご飯を食べました、
これが私の最後の晩餐ならぬ昼食にならないことを・・・・・・。
これから和楽のコンサートに行ってきます、琴、笙、尺八など
日本古来の楽器の演奏会です。
どんなものか想像もつきませんし、和楽に造詣が深いこともないのですが、
一応和太鼓もやっていますし好奇心を持つことはいいことだと思いますので
出かけます、詳細はまたの機会に・・・・。
まさか居眠りはしないと思いますが・・・・・。
Posted by いとう茂 at
12:52
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