2013年10月17日
慟哭
車のCDで吉永小百合さんの第二楽章を時々聴いています。
出逢いは文庫本でした、吉永小百合の名前につられて
手にし、ページをめくると挿絵と詩が載っていました。
原爆の被害を受けた方やその家族の作品です。
巻頭は原爆詩人と言われた峠三吉さんの「序」です。
峠さんの詩集はそれ以前から持っていましたので
序も目にしていました。
厚手の紙に印刷された詩集はそれほど読むのに期間が
かかりません、2・3度読んでCDが欲しくなり買いました。
文字だけでは味わえない、切ない迫力というか、
うまく表現できませんが、心に突き刺さる言霊、
そんなものを感じ今でも時々聴いています。
昔、広島の江田島に行った帰りに平和祈念館に寄り、
原爆詩一八一人集という詩集を買いました。
重くてなかなか読み進みませんが、1945年から2007年までを
いくつかに区切り被爆者や詩人の詩がまとめられています。
その最初も峠三吉さんの詩から始まりますが、
その詩集の中に大平数子さんの詩が収められています。
慟哭というタイトルですが長いので割愛して掲載されています。
第二楽章では全文を吉永さんが朗読しています。
気に入っているというと誤解されそうですが、心を打つ詩ですので
紹介します、二日続きで重いブログになってしまいました。
慟哭
逝った人はかえってこれないから
逝った人は叫ぶことが出来ないから
逝った人はなげくすべがないから
生きのこったひとはどうすればいい
生きのこったひとはなにがわかればいい
生きのこったひとはかなしみをちぎってあるく
生きのこったひとは思い出を凍らせてあるく
生きのこったひとは固定した面(マスク)を抱いてあるく
夜をこめて
板戸をたたくは風ばかり
おどろかしてよ
吾子(わがこ)のかえると
今日は
何処(いずこ)をいくやら
原爆より三日目
吾が家の焼けあとに呆然と立ちました
めぐりめぐってたずねあてたら
まだ灰があつうて
やかんをひろうてもどりました
でこぼこのやかんになっておりまし
た
“やかんよ
きかしてくれ
親しいひとの消息を”
やかんが
かわゆうて
むしょうに むしょうに
さすっておりました
坊さんが来てさ
くろいきものを着てさ
かねをならしはじめると
母さんにみつめられてさ
あかるいとう明のむこうに
おまえたち
てれているのさ
ぽろ ぽろ
いとすいせんの匂う下で
母さんに叱られたとき
おまえたち
やったように
ちょっと
泣きそうな顔なのさ
よその国からひとがきて
何んとかいう鐘を吊っていんだげな
えらいひとがきて
はしのような墓をたててくれたげな
「安らかに眠って下さい」
いうたげな
まだようねんと
今夜も
わたしと歩くんかい
月夜
もうねたかい
もうねたかい
まだかい
もうねたろう
はよう
ねてくれよ
よんでいる
だれかがよんでいる
くずれながら
母(ママン)――
どこかでよんでいる
母(ママン)――
沖のほうでよんでいる
夕方
はなやの前をとおると
はなたちが一せいにこっちをみる
チューリップも
スイートピーも
アネモネも
ヒヤシンスも
それから
フリージャも
みいんな
手をだして
つれてかえってくれという
母さんにだかれていたいいう
ゆうやけ こやけ
あーしたてんきになあれ
からすがなきなきかえったよ
みいこちゃんちにあかりがついた
さあちゃんちにあかりがついた
しょうじんちにあかりをつけよう
やすしんちにもあかりをつけよう
失ったものに
まちにあったかい灯がとぼるようになった
ふか ふか ふかしたてのパンが
ちんれつだなにかざられるようになった
中学の帽子が似合うだろう
今宵かじるこのパンを
たべさしてやりたい
はら一ぱいたべさしてやりたい
女夜叉(おんなやしゃ)になって
おまえたちを殺したものを
憎んで、憎んで、憎み殺してやりたいが
今日
母さんは空になって
おまえのために鳩をとばそう
まめつぶになって消えていくまで
とばしつづけよう
しょうじよう
やすしよう
しょうじよう
やすしよう
しょうじよおう
やすしよおう
しょうじよおう
やすしよおう
しょうじい
しょうじい
しょうじいい
しょうじ=昇二 次男
やすし=泰 長男
風さん 風さん 風さん
あなたが世界中をくまなく吹いて
どこかでわたしの子どもをみかけたら
わたしが
待って
待って
待ちくたびれて
それでも
のぞみをすてないで
まだ
待っているからと
あの子に伝えて下さいな
お月さん お月さん お月さん
あなたは
一年 三百六十五日
そうしてあるいておいでだから
あなたは何んでも見えるでしょうから
わたしの子どもが
みちが多くてかえれないと
泣いていたなら
まよわずまっすぐ帰ったらいいと
おしえてやって下さいな
がん(雁)さん がんさん がんさん
あなたがかえっていく北の国に
もしも
わたしの子どもたちが寒さにふるえていたなら
わたしが
おまえをさがしていたと
子どもにいって下さいな
月のいいばんには
ふえをふいて待っていると
あの子に告げて下さいな
雨のふるばんには
高下駄をならして帰ってくるみちを歩いていると
あの子に告げて下さいな
つばめさん つばめさん つばめさん
あなたがいたみなみの国に
もしや
わたしの子どもが
帰るのを忘れてあそんでいやしないでしょうか
あの子はものおぼえのいい子だから
きっとわたしを思い出してくれるでしょうけれど
みなみの国はあったかいから
みなみの国は、いっぱい、いっぱい、花が匂うているから
花の香りにむせて
わたしの子どもが帰るのを忘れているかも
知れないのです
もし
あなたがわたしの子どもをみかけたら
わたしが待っているから
と、あの子に告げて下さいな
ザク ザク ザク
山里にみぞれ降る
ゆきの重さ
かなしみの重さ
とてつもなくながいよると
とてつもなくみじかいひると
とてつもなくながいよると
とてつもなくながいよると
とてつもなくながいよると
とてつもなくながいよると
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう
正義ということを
正義とは
つるぎをぬくことでないことを
正義とは
“あい”だということを
正義とは
母さんをかなしませないことだということを
みんな
母さんの子だから
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう
今日は9時30分から市役所の玄関で、ねんりんピックよさこい2013に
参加される方の壮行会がありました、皆さん揃いのユニフォームで
年齢を感じさせない・・・・とにかく元気です。
好成績を期待したいと思います。
正副市長の顔が見えなかったのは残念でしたが、職員約30名ほどが
出席していました、議会からは一人でしたが、皆さん前向きに生きていることが
伝わってきました。
これから、この前の議会の新聞を作成します。
全市に配ることはできませんが今月か11月の10日までには
新聞折り込みをしょうと思います。
出逢いは文庫本でした、吉永小百合の名前につられて
手にし、ページをめくると挿絵と詩が載っていました。
原爆の被害を受けた方やその家族の作品です。
巻頭は原爆詩人と言われた峠三吉さんの「序」です。
峠さんの詩集はそれ以前から持っていましたので
序も目にしていました。
厚手の紙に印刷された詩集はそれほど読むのに期間が
かかりません、2・3度読んでCDが欲しくなり買いました。
文字だけでは味わえない、切ない迫力というか、
うまく表現できませんが、心に突き刺さる言霊、
そんなものを感じ今でも時々聴いています。
昔、広島の江田島に行った帰りに平和祈念館に寄り、
原爆詩一八一人集という詩集を買いました。
重くてなかなか読み進みませんが、1945年から2007年までを
いくつかに区切り被爆者や詩人の詩がまとめられています。
その最初も峠三吉さんの詩から始まりますが、
その詩集の中に大平数子さんの詩が収められています。
慟哭というタイトルですが長いので割愛して掲載されています。
第二楽章では全文を吉永さんが朗読しています。
気に入っているというと誤解されそうですが、心を打つ詩ですので
紹介します、二日続きで重いブログになってしまいました。
慟哭
逝った人はかえってこれないから
逝った人は叫ぶことが出来ないから
逝った人はなげくすべがないから
生きのこったひとはどうすればいい
生きのこったひとはなにがわかればいい
生きのこったひとはかなしみをちぎってあるく
生きのこったひとは思い出を凍らせてあるく
生きのこったひとは固定した面(マスク)を抱いてあるく
夜をこめて
板戸をたたくは風ばかり
おどろかしてよ
吾子(わがこ)のかえると
今日は
何処(いずこ)をいくやら
原爆より三日目
吾が家の焼けあとに呆然と立ちました
めぐりめぐってたずねあてたら
まだ灰があつうて
やかんをひろうてもどりました
でこぼこのやかんになっておりまし
た
“やかんよ
きかしてくれ
親しいひとの消息を”
やかんが
かわゆうて
むしょうに むしょうに
さすっておりました
坊さんが来てさ
くろいきものを着てさ
かねをならしはじめると
母さんにみつめられてさ
あかるいとう明のむこうに
おまえたち
てれているのさ
ぽろ ぽろ
いとすいせんの匂う下で
母さんに叱られたとき
おまえたち
やったように
ちょっと
泣きそうな顔なのさ
よその国からひとがきて
何んとかいう鐘を吊っていんだげな
えらいひとがきて
はしのような墓をたててくれたげな
「安らかに眠って下さい」
いうたげな
まだようねんと
今夜も
わたしと歩くんかい
月夜
もうねたかい
もうねたかい
まだかい
もうねたろう
はよう
ねてくれよ
よんでいる
だれかがよんでいる
くずれながら
母(ママン)――
どこかでよんでいる
母(ママン)――
沖のほうでよんでいる
夕方
はなやの前をとおると
はなたちが一せいにこっちをみる
チューリップも
スイートピーも
アネモネも
ヒヤシンスも
それから
フリージャも
みいんな
手をだして
つれてかえってくれという
母さんにだかれていたいいう
ゆうやけ こやけ
あーしたてんきになあれ
からすがなきなきかえったよ
みいこちゃんちにあかりがついた
さあちゃんちにあかりがついた
しょうじんちにあかりをつけよう
やすしんちにもあかりをつけよう
失ったものに
まちにあったかい灯がとぼるようになった
ふか ふか ふかしたてのパンが
ちんれつだなにかざられるようになった
中学の帽子が似合うだろう
今宵かじるこのパンを
たべさしてやりたい
はら一ぱいたべさしてやりたい
女夜叉(おんなやしゃ)になって
おまえたちを殺したものを
憎んで、憎んで、憎み殺してやりたいが
今日
母さんは空になって
おまえのために鳩をとばそう
まめつぶになって消えていくまで
とばしつづけよう
しょうじよう
やすしよう
しょうじよう
やすしよう
しょうじよおう
やすしよおう
しょうじよおう
やすしよおう
しょうじい
しょうじい
しょうじいい
しょうじ=昇二 次男
やすし=泰 長男
風さん 風さん 風さん
あなたが世界中をくまなく吹いて
どこかでわたしの子どもをみかけたら
わたしが
待って
待って
待ちくたびれて
それでも
のぞみをすてないで
まだ
待っているからと
あの子に伝えて下さいな
お月さん お月さん お月さん
あなたは
一年 三百六十五日
そうしてあるいておいでだから
あなたは何んでも見えるでしょうから
わたしの子どもが
みちが多くてかえれないと
泣いていたなら
まよわずまっすぐ帰ったらいいと
おしえてやって下さいな
がん(雁)さん がんさん がんさん
あなたがかえっていく北の国に
もしも
わたしの子どもたちが寒さにふるえていたなら
わたしが
おまえをさがしていたと
子どもにいって下さいな
月のいいばんには
ふえをふいて待っていると
あの子に告げて下さいな
雨のふるばんには
高下駄をならして帰ってくるみちを歩いていると
あの子に告げて下さいな
つばめさん つばめさん つばめさん
あなたがいたみなみの国に
もしや
わたしの子どもが
帰るのを忘れてあそんでいやしないでしょうか
あの子はものおぼえのいい子だから
きっとわたしを思い出してくれるでしょうけれど
みなみの国はあったかいから
みなみの国は、いっぱい、いっぱい、花が匂うているから
花の香りにむせて
わたしの子どもが帰るのを忘れているかも
知れないのです
もし
あなたがわたしの子どもをみかけたら
わたしが待っているから
と、あの子に告げて下さいな
ザク ザク ザク
山里にみぞれ降る
ゆきの重さ
かなしみの重さ
とてつもなくながいよると
とてつもなくみじかいひると
とてつもなくながいよると
とてつもなくながいよると
とてつもなくながいよると
とてつもなくながいよると
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう
正義ということを
正義とは
つるぎをぬくことでないことを
正義とは
“あい”だということを
正義とは
母さんをかなしませないことだということを
みんな
母さんの子だから
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう
今日は9時30分から市役所の玄関で、ねんりんピックよさこい2013に
参加される方の壮行会がありました、皆さん揃いのユニフォームで
年齢を感じさせない・・・・とにかく元気です。
好成績を期待したいと思います。
正副市長の顔が見えなかったのは残念でしたが、職員約30名ほどが
出席していました、議会からは一人でしたが、皆さん前向きに生きていることが
伝わってきました。
これから、この前の議会の新聞を作成します。
全市に配ることはできませんが今月か11月の10日までには
新聞折り込みをしょうと思います。
Posted by いとう茂 at
12:16
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