2017年08月08日

その人を笑えますか㉞

「ゼウスとプロメテウスとアテネとモモス」

ゼウスは、ギリシャの神々の中で一番偉い神。
プロメテウスは、ゼウスから火を盗んで人間に授けたといわれる神。
アテネは、学問の女神です。
この三人の神がある時、コンクールをしました。
ゼウスが作った雄牛と、プロメテウスが作った人間と、アテネが作った
家との中で、どれが一番良く出来たかを比べようというわけです。
審判官には、モモスが選ばれました。
モモスは、不平や悪口ばかり言う神です。
モモスは、ゼウスたちが作った物を見て、ねたましくなりました。
それでまず、ゼウスの雄牛について、
「これは失敗ですね。
雄牛の目は角の先につけなければ駄目ですよ。
角で突く時にどこを突くか、ちゃんと見定めるには、目は角の先になくてはね」
と、言いました。
次に、プロメテウスの人間をさして、
「駄目駄目、人間の心は外側につけなければ。
心が外についていれば、悪巧みが丸見えで隠しようがないでしょう。
誰もかれも、心の中で思っている事をちゃんと見せるように、
心は外側でなくてはね」
アテネが作った家については、
「ふーむ。家を作るなら、車付きにすべきでしたね。
隣に嫌な奴が越してきたら、すぐ別の所へ移れる様に、
家にはちゃんと車をつけて欲しかったですな」
嫌みばかりいうモモスに対してゼウスはすっかり腹を立てて、
神々の山オリンポスから追い出してしまいました。

このお話しは、どんなに良く出来た物でも、けちをつけようとする
人が見れば、必ず何かしら欠点が見つかるものだという事を教えています。
そして、その様にけちをつける人は、相手にしない方がいいでしょう
どんなに良いことでも反対はありますし、どんなに悪いことでも
賛成があります。
日本には信念を貫くという便利な言葉がありますし、お隣の中国からは
断じて行えば鬼神も之を避く、という諺も伝わっています。
断じて行うことが人に好かれたり好感を持って支持されるか、
それは別の話ですが・・・・・・。


「羽根を切られたワシとキツネ」

ある日、一羽のワシが人間に捕まりました。
捕まえた人はワシの羽根を短く切って鳥小屋の中に入れ、
ニワトリと一緒に飼っておきました。
羽根を切られたワシは、あまりにも悲しいので、しょんぼりと首をたれ、
エサも食べられないありさまでした。
まるで、生け捕りにされた王さまの様でした。
ところが、別の人がこのワシを買い取ってくれたのです。
今度の人はワシの傷んだ羽根を抜いて薬を塗り、
新しい丈夫な羽が生えるように手当てをしてくれました。
元気に飛べる様になったワシは、ウサギを捕まえて
親切なご主人に持って行きました。
それを見て、キツネが言いました。
「きみ、次の獲物は初めの人の所へ持って行けよ。
前の怖い主人のご機嫌を取る事も必要だぜ。
また捕まって羽根を切られるといけないから」

親切にしてくれた人には、たっぷりと恩返しをしなければなりません。
でも、意地悪な人からまた嫌な目に会わない様、用心する事も大切です。
受けた恩は石に刻んでも忘れない、備えあれば患いなし、
そういうことでしょうか。


「マムシとキツネ」

マムシがイバラの束に乗って、川を流されていきました。
通りかかったキツネが、大きな声でからかいました。
「憎まれ者のイバラの船に、憎まれ者のマムシが船頭だから、
ちょうど良かったな」

このお話しは、すぐに嫌みを言う、嫌な人をたとえたものです。
憎まれ者に憎まれることはいいことだ、そんな法則がありました。
凡人はこんなことがあると、つい普段から思っていることが
口から出てしまうものです、憎まれ者は世にはばかる、
私たちに嫌味を言ってはいけないよ、そう神さまが教えるために
世にはばかるようにしているのか・・・・・。
そんな気付きもあります。


「少年と肉屋」

二人の少年が、同じ店に肉を買いに来ました。
肉屋が向こうを向いて仕事をしている隙に一人が
臓物を盗んでで、もう一人の少年に持たせました。
肉屋はこちらに向き直って、臓物が無くなっているのに気がつきました。
「お前たちだな、盗んだのは」
肉屋は、少年たちに詰め寄りました。
すると、臓物を盗んだ少年は、
「この通り、ぼくは持っていないよ」
と、言いましたし、もう1人は、
「ぼくは持たされただけで、盗んだんじゃあないよ」
と、言うのです。
肉屋は、二人に言いました。
「ごまかして、わたしからは逃げられたって、悪い奴はきっと
神さまから罰を受けるからな」
それを聞いた二人の少年は怖くなって、臓物をその場に
置いて逃げて行きました。

どんなにうまく悪知恵を働かせても、神さまを騙す事は出来ません。
老子は天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず) 、
論語では天知る、地知る、我知る、人知る(てんしる、ちしる、
われしる、ひとしる )老子も孔子も同じようなことを言っています。
性悪説も性善説も同じ根っこの部分はあるようです。
  
Posted by いとう茂 at 12:42Comments(0)