2017年08月15日

終戦記念日

72度目の終戦記念日が来ました。
今を生きている私は来ましたということしか言えません。
実際は開戦の前から終戦後の3・4年までの7・8年が
生活も苦しく命の価値が低い時期だったのです。
自分の中では将校や下士官は軍人、それ以下は兵隊、
そんな分け方をしていますが、死んでいった人の命は
位も肩書もなく、かけがえがなく誰とも比べられない
貴重で重いものだと思っています。

終戦後10年近くたってこの世に生を受けた者として、
子どもの頃は周囲もみんな貧しく、子どもはいつもお腹を
すかしていて、食べた肉は共通して鶏肉、鯨が時々、
豚肉がひと月かふた月に一度、牛肉となると正月か
何かめでたい時くらい。
同年代ではこうした経験は共有していますし、話をしても
共感を得るのが普通です。

ソースやマヨネーズは小学校に入ってから口にした
ように記憶していますし、ドレッシングなんてものは
影も形もなかった。
こうした記憶がある程度鮮明に残っているのは、5・6歳の
頃からではないと思います、開戦の頃に5・6歳の人は
現在、80歳を超えたあたりですが、戦争の鮮明な記憶が
残っているのはさらに5年ほど前に生まれた年代からでは
ないでしょうか。

その人たちより20歳近い私が戦争の話をしても
知識として書物やテレビから仕入れたものでしかなく、
実体験が伴いません。
それでも、戦地で負傷しても薬品や手術をする医師もおらず、
そうした設備もなく助かる命が失われたことや、食べるものや
水がなくなり飢えと渇きで抵抗力が落ち赤痢やマラリアに
感染し、戦をする前に亡くなった人、武器も明治時代の
鉄砲が第二次世界大戦でも使用され、改良形もあったものの
そうした古い武器で連合軍と戦闘を行わなければならなかった
経済状況も見えてきますし、理論より精神論が優先され
理不尽が日常の軍隊生活だったことも理解できます。

戦地での医療環境、食糧事情、武器、戦闘姿勢、そうした
状況の中で亡くなった方たちの命の上に今の日本がありますし、
私たちも生きています。
語り部となることは無理ですが、知識を伝えることと、一人ひとりが
心に持っている刀を二度と抜かない覚悟の手助けは
できそうに思います。
それも届かないかもしれないなぁ。
膳所公園に慰霊塔がありますが、そこには県下の戦没者が
祀られています、身近なところですので、この前歩くときも
前を通って手を合わせてきました。
人に影響を及ぼすことは無理でも自分の心を鎮めることは
できます。
そんなことを一人で思っている今夜です。
  
Posted by いとう茂 at 21:33Comments(0)