2019年10月27日

久しぶりに 東井義雄さん②

昨日に続き東井義雄さんの語録を紹介します。

よし、この調子で運動会をやれ。
春の運動会は、校内運動会ですが、
「校長先生、用意ができました。席についてください。」
きちんとテントを張って、席を作ってくれてます。
机の上に四角錐が置いてある。
「校長先生、僕たちの頑張りを見ていてください。昭和四六年春の大会」
「男の子たちが作ったらしいが、ていねいにやったな。」
つまみあげてみますと、底には風でとばんように、石ころなんかを
入れています。そのそばに、こんなかわいい植木鉢が置いてあります。
何か胸を打たれ
「6年の先生、これ誰ですか。」
「すぐ調べてみます。」
調べてもらってみますと、四角錐は森山君、鉢は内田君、二人とも会場係。
「運動場になんにも忘れもんない。ああ、まだ校長先生の席があったぞ。」・
「僕、席つくるぞ。」
「僕、鉢持ってくるぞ。」
とやったんだと解りました。

進行係が、プログラムを持ってきました。
子どもが印刷したんですから、みっともないですが、
演技の一番初めに、
『地区別総行進』
「おかしなもん考えたやな。歩きなれている学級や学年で歩いても、
バタバタぶさいくなもんなのに。」
と思っていると、
「校長先生、総行進を始めます。台の上にあがってください。」
台の上にあがっていくと、レコードが鳴り始めて、
「交通事故0にする地区」
こんなプラカードをあげて、5・6年の子がはしで、1年生、2年生の
ちびっこを中にはさんで歩いてきます。
学区から一番遠い駅前の子、大人の人に気をもんでもらわんでも、
事故なんか、一つもおこさんぞ、と事故のないことに挑戦している
子どもたち。

その後ろから、
『ゴミの一つも落ちていない大森地区』
校長先生、いつでも来てください。
うちの地区、ゴミが落ちてません。

その後から、
『おはよう、こんにちは、挨拶 八鹿一』
この小学校21地区の中で、おはよう、こんにちは、挨拶は
どの地区にも負けんぞという子どもたち。
5年間、奉仕活動を続けていた宮町地区、小さい地区ですが、
橋がありまして、橋の上がバスの停留所になっている。
大人がたばこの吸い殻をポイポイ捨てる。
「この橋だけは子どもで守りぬいてみせるぞ。」

秋の運動会は大人のかたも全部集まります。
体育会が終わって、21地区の大人が、21のテントをたたんで
帰った後、竹ぼうきをつかわんでもいい体育会をしちゃいましたね。
ゴミが一つも落ちてない体育会をしちゃいました。
運動会のあとで、掃除をしなくてもいいんです。
  
Posted by いとう茂 at 00:01Comments(0)

2019年10月25日

久しぶりに 東井義雄さん

8月に兵庫県の東井義雄記念館に行ったときに
買った本を読み返していました。
その中から紹介したいと思います。
「バカになるまい」という題名の100ページ余りの冊子からです。

「ゴミひろい」

私の最後の校長をやった小学校の子どもたちがね。
この学校、ゴミの落ちとらん学校にしてやるんだ。
ゴミひろいに挑戦している子どもがいました。
その日記をみせてもらいました。
「落としたいものは落とせ、みんなひろってやる。」
と書いてありました。

私もゴミは気になってひろうんですがね。
気が付いてみると、いつもぶつぶついうとるんです。
「なぜこんなゴミを落とすんやろうか。もう少し、しゃんとしたらどうや。」
なんかぶつぶついうとるんです。
挑戦する生き方。
いろんな難儀、苦労に、あえて自分でぶつかって、このおかげさまで
というような受け止めかたができるような生き方、これがあるんですね。

12月に入って寒い日が続きました。
私はやせ細って、寒さがすぐ骨身に応えてくるほうで、
「寒い寒い」
といいましたらね、そこの小学校6年生の子の日記をみせてもらいましたら、
「12月が僕を試しにやって来た。」
と書いてくれました。
12月が僕を試しにやって来た、負けるかい、ということですね。
お昼になってしまいましたが、その挑戦のこと、もう少しばかり
お話してお別れすることにしましょう。

6年の春の遠足を歩かせることにしていましたが、
「春の遠足、歩くことになったんだが、みんな足が弱っているから、
隣のいざわ小学校のあたりがどうや。
あそこの川淵で弁当食べたら、いいぞ。」
「先生、バカにせんといてください。あそこは毎年、1年生が行くとこです。」
「いや、あのへんが、ちょうど似おうとると違うかな。」
「バカにせんといてください。」
「えらそうにいうが、どれだけ歩くつもりや。おまえたちで計画建ててみい。」

結局子どもたち、但馬を切り開いたという、新羅皇子天の日槍を祀ってある、
出石神社を訪ねて、そこでなにかを勉強したらよいか、37キロの
計画を立て、それに挑戦して、
「やれたわい。」
といって、えばって帰って来るんです。


子どもたちの自主性を育てるために、あえて挑発的な言葉を使ったのかも
知れませんが、子どもたちのことを日ごろからよく見ていないと、逆効果に
なることもあると思います。
続きは明日です。
  
Posted by いとう茂 at 21:22Comments(0)

2019年10月24日

灯明

気持ちがざわつくときや時間的なゆとりがない、
そんな時には、心を落ち着けなければということで、
深呼吸や休憩をとったり、一人になって静かに心が澄んでいくのを
待つ人も多いと思います。
私は、そんな時は四国遍路の納経帳をとりだして、御朱印を眺め
気持ちを落ち着かせています。
納経帳は4冊持っています、1巡目に全行程を歩いて回った時は、
荷物は少ない方がいいと考えて小さい納経帳にしました。
それが、46番の浄瑠璃寺で押してもらう所がなくなり2冊目。
次は、88番まで持つのですが75番の善通寺で早めに買っておき、
これで小さい納経帳が3冊になりました。
1巡目の歩きの遍路が終わった後に高野山にお礼参りに行ったときに
B5の一般的な納経帳を購入しました。
2巡目は逆打ちで別格も含めて108の札所を回りましたが、
別格の御朱印だけを小さい納経帳にいただき、B5には新しく
御朱印をいただきましたので、3冊目に余白がありましたが、
2巡目以降の札所の御朱印は大きめの納経帳にいただいています。
3巡目は主に車で結願し、4巡目は、自動車、鉄道、バスなど自由な
手段で回り、もう少しで4巡目が結願ですが、
もう少しが遠くて・・・・・・5年が。

遍路の話を書きだすと止まりませんので、札所でお参りの時に
灯明をあげます、こちらの話にします。
灯明は昔は油の皿に入った芯に火をつけていましたが、現在では
ろうそくが一般的になっています。
灯明は闇を照らす智慧の光とされ、重要な供養のひとつだとされて
いますが、凡人には線香とセットでお堂の前でのしきたり、その程度の
認識しかありませんface07

子どもの頃は台風が来ると停電したり、夕立で雷が停電を引き起こすと
いう事はかなり多かったように思いますし、夏に地虫を捕りに行くときに
活躍しました。
その時にろうそくは周りを照らす貴重な光源でしたが、それほど頻繁に
停電も起きなくなり、ろうそくは日常生活では仏壇の周りにしか
居場所がなくなりました。

まさに身を溶かして周囲を照らすろうそくですが、こちらもろうそくを見る
視点が変わっているのに気づきました。
人生の長さや燃え尽きる前の残り火、そんな感覚があります。
闇を照らすとは、苦しんでいる人に希望を与えることでもありますし、
困っている誰かのために何かをするという意味もあると思います。
そのことをろうそくは感じているのかと言えば・・・・・無理でしょう。
ただ燃えているだけ・・・・・ですが、ただ燃えているだけで、誰かの
役に立っています、滑りをよくするなど、他にも使い道はあるのでしょうが
燃えてこそのろうそくです、それしかできないけれど、そのことが大切、
我々は、いろいろなことができます、その中で、ただそこにいるだけで
多くの人の役に立つ、そうした人がどれだけいるのか、どのように
役に立っているのか・・・・・。

100均に行けば箱入りでたくさんのろうそくが買えます、その1本1本が
すべて同じように役に立ってくれます。
高級ブティックに行っても、そこにいるだけで役に立つ人間は売って
いません、東急ハンズでも売っていません。
自己観照、おごらず謙虚に、謙虚に・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 21:05Comments(0)

2019年10月23日

お帰りぃ

日曜日に車検に出した愛車が今日帰ってきました。
定期検診を無事にクリアした、そんな感じです。
今から40年ほど前に柴犬を飼っていました、14歳ほどで
亡くなりましたが、うちに来たときは生後何十日と言うところで、
まだまだ子犬でしたが、1年もすると体も大きくなり、散歩に
行くと強い力で引っ張るようになり、走るのも鎖をもって一緒に
走るのですが、ほぼ同じスピードで走れるようになりました。
鎖がたるんだままで、どちらかが前に出ると鎖がピンと
張りますが、そうしたことはありませんでした。
こちらもまだ20代で体力もあり、走るのも苦なくこなせたから
だと思います。

そして2年目以降は、私が遅れて鎖が張ったままになり、
それから6・7年はその状態が続いていました。
私の体力も徐々に落ちて走るスピードも遅くなっていたのだと
思います。
それが、いつの間にか私の方がゆとりをもって柴犬の方を
見ながら走れる時期がやってきました。
鎖は張らずに柴犬のペースに合わせて走るのは、多少の優越感は
ありましたが、それよりも柴犬が老いてきたという現実がにわかに
受け止められずに戸惑い、そして悲しみに変わりました。

愛車も10万キロを超えたあたりはまだまだ元気で、故障という言葉が
似合いませんでした。
それが20万キロを超えたあたりからモーター関係の故障が出だし、
先日はガソリンポンプの故障でエンジンがかからず、レッカー車に
乗せられて修理工場まで運搬、人間でいうなら自分で病院に行けずに
救急車のお世話になるようなものです。
どちらかと言えば、せっかちなので丁寧に車を使用していませんが、
大切にしてきたつもりです。

愛車を柴犬に例えるなら、鎖をつけずに全力で走っても、後ろから
抜き去ることができる状態・・・・・なのでしょう。
これまで自動車を何台か乗り継いできましたが、基本的に
走らなくなるまで乗ってきました。
走行距離が多い車や年式の低い車も、日本では市場価値がなくても、
東南アジアの方に輸出されまだまだ命を長らえるのだと思いますが、
道路状況が悪い道を車体をがたがた揺らせながら、多くの人を
運ぶのは辛いだろう、そんな気持ちがあります。

とりあえずは25万キロを目指すのと四国遍路に一緒に出掛ける、
これが、今の私の思い、夢です。
  
Posted by いとう茂 at 22:46Comments(0)

2019年10月22日

そう言えば昨年は歩いていました、ビワ100

この前に愛車の大手術を行いましたので、
日曜日にいつも車検をお願いしているスタンドに持って
行きました、25万キロを目指して元気で走ってくれますように、
四国遍路にもまだまだ一緒に行きたいと願って・・・・・・。
11時前でした、この日は膳所公園から浜大津の大津港までの
ウォーキング大会が開催されており、親子で歩く姿もたくさん
見かけました。
親子に交じってゼッケンをつけて歩いている姿がちらほら。
膳所公園からスタートしたにしては足取りが重く、疲れて
見えましたので、スタンドの職員に尋ねると「あ~ビワ100ですわ」と
いうことでした。

そうか、あれからもう1年になるんだと思いながら、職員と
眺めていると「うちの職員も参加してるんですわ、一番速い職員は
朝の6時に自衛隊の前やて電話がありました」
自衛隊の前からなら2時間ほどで雄琴まで歩けます、昨年の私と
ほぼ同じペースで8時過ぎにはゴールしていると思いました。
雄琴温泉に浸かり足腰の疲れをいやしているのでしょうか。
私も昨年に歩いたことを話すと職員は驚いていましたが、参加定員が1000人の
大会とはいえ、身近なところでも参加している人がいることが嬉しくもあり、
以外でした。

南郷の洗堰のチェックポイントが午前4時頃だったと思います。
瀬田川を渡り石山寺では暖かいおもてなし、知り合いがボランティアを
していましたので、思わぬ長居をして順位を下げました。
近江大橋の下をくぐると、スタンドの前で夜が明けると一気に睡魔が
襲ってきたのを覚えています。
歩く姿勢を確認すると、背筋も伸びていますし腰骨も真っすぐで
歩幅もしっかり伸びていました、疲労がたまると背筋が曲がり歩幅が
短くなり進みませんが、その心配もなく快調に歩けていたのは、スティックの
恩恵が大きく、右手で地面についてそれで推進力をもらっていました。

制限時間は30時間なので時速3,5キロならゴールできる計算に
なります、土日のイベントですが、もう一日増やして金曜日からの
イベントにすれば54時間になり、歩いて琵琶湖一週も可能だと思います。
現実は、ボランティア確保の問題、休憩所に加えて仮眠所、参加者の
安全確保の問題、開催時期等、多くの課題がありますが誰か企画を
してくれないかなぁ、そんな思いの人も多いのではないかと考えます。
全国で、100キロのウォーキング大会は数多く開催されていますが、
200キロ近い大会はほとんどないと思います。
昨年22時間30分余りで歩いた時も、同じようなことを考えていました。
浜大津港から時計回りに歩いて100キロは、長浜あたりです、まだ明るいので
そこから湖周道路を歩いてなら歩道もありますので、比較的安全です。
自転車で車道を走るよりも安全だと思います。
でも、こんなバカげた話を真剣に考える高齢者は私くらいか・・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 21:02Comments(0)