2021年02月23日

思い出し遍路64

雲辺寺からロープウエイで別格の萩原寺を経て
67番の大興寺へ、山門をくぐると目の前に長い階段が現れ
そこを上ると手洗い場と鐘楼がありすぐ本堂です。
その左手が大師堂で、お参りを済ませて納経所へ、帰りも同じ階段を
下りて山門へ、山門の前では物乞いの遍路姿の男性がいました。
札所の中での物乞いや勧誘、ビラ配りなどは禁止されていますので、
こうして山門の前で立っているのですが、特別珍しい光景では
なく、何度も同じような物乞いの姿を見かけたことがあります。
中には強引に金品を要求してくる物乞いもあり、女性1人の
遍路だと対応に困ることは必然です。

大興寺の山門を出て左へ、ここまでは間違っていませんでしたが、
広い道に出ると石碑があり右手を指していました、その石碑に従い
右手に行ったのが大間違いで、あとから気が付いたのですが
その石碑は自動車用の物で、歩きは左に行かなければいけません。
そのことに歩きだしてしばらくしてから気づきました・・・・・でも、でも、
戻るのが嫌だったので、とりあえず道路を渡り広い道を左に曲がり
これで先ほどの道を左にいった道路に合流するはず・・・・・でした。
しかし・・・・・合流しない、通行する人も何も言ってくれない・・・・・。
通行する人が何も言わないのは反対方向に歩いていないことの証明、
勝手に決めて歩くこと40分くらいだったでしょうか、観音寺の看板が
目に入りました。
遠回りには違いありませんが目的地に向かっていることは確かです。

雲辺寺の上りから萩原寺、大興寺と歩いてきて足の裏には豆ができ
それが潰れているのが分かりますが、豆の潰れた痛さよりも足腰の
痛さの方が勝っていて歩くペースが落ちています。
今回は、伊予西条から石鎚まで戻り、そこからの歩きでその日が3日目、
次の日は帰る日ですが、ここまでで80キロ以上歩いていたと思います。
足腰が悲鳴を上げるのも仕方のないことです。
幸い、次の68番の神恵院と69番の観音寺は隣同士、移動距離は
50mもなく納経所も同じです。
観音寺の裏手からは瀬戸内海が見え、その手前の砂浜には
大きな寛永通宝を砂で作っています。
手入れが大変だろうなぁ、疲れていてそんな感想しかありませんでした。
お参りを済ませてビジネスホテルへ、何を食べたのかどんな店に
入ったのか・・・・記憶になく、次の日は雨だったのは覚えています。
  
Posted by いとう茂 at 16:03Comments(0)

2021年02月22日

時間が足りません

昨日は、ひきこもり、不登校家族の会えこステの
9回目の集いでした。
12月からミニイベントとして家族の人たちに和太鼓を体験して
もらっています。
簡単な曲を全員で叩くのもこれで3回目、少しずつ全員の演奏が
あってきて来月は発表会を予定しています。
ひきこもり、不登校の本人や家族が聞きに来てくれれば、この
ミニイベントは成功です、もう一つの成功は叩いている家族が
楽しんでいること、えこーのスタッフは全員が同じ和太鼓の会で
活動をしていますので、スタッフの本領発揮というところです。

和太鼓を1時間20分ほど叩いて、広報紙に掲載するえこステだより
のために出席者から意見を聞きました。
これが思わぬ時間がかかってしまい、1時からの集いが3時を
回っていました。
5時までの予定ですので残り時間がありません。
この後近況報告と意見交流会、いつもならこれで3時間近くかかり
4時間があっという間に過ぎていきます。
それが2時間を切っている状態で、家族の人たちがこの1か月で
ため込んできたものを吐き出す時間が・・・・・。

なるべく参加者が話をして吐き出して帰ってもらいたいと、えこーでは
考えていますので、最低限のことだけ話をするのですが、いったん
堰を切れば家族の言葉は終わることがありません。
他の参加者も「長いなぁ」と言った素振りを見せることなく、時々、話に
割って入ったりと、それぞれが真剣に話を聞いています。
同じ生きづらさを抱えた人たちで、親しい友人にも子どものことを
話せないと言います。
それがここでなら何も隠すことなく安心して話せる・・・・・・。
そこまで言われたら途中で止めたりできるはずがありません。

えこステは会長も副会長もいません、あえて上下関係や入会歴の
新しい、古い垣根も作りたくないと、全員が同じ立場で年齢、性別
関係なくオールフラットです。
事業やイベントも提案はえこーで行い、賛否を決めるのは家族の人たちに
任せることにしています。
昨日は新年度の事業についても家族の人たちに決定してもらいました。
勉強会も3回実施することになりましたし、和太鼓、魚釣り等のイベントも
行います。
行うのはいいのですが・・・・家族がたまったものを吐き出して楽になる時間を
どう作るか。
事業だけでなく時間をどのように捻出して、明るい笑顔で帰ってもらうか、
そちらの方も考えないと・・・・・・・。
家族だけでなく、こちらも時間が・・・・・足りませんわ。
  
Posted by いとう茂 at 12:46Comments(0)

2021年02月21日

思い出し遍路63


お参りを終えて下りですが、別格の萩原寺によるために下りは
ロープウエイで降りました。
仏像が何十体も並んでいる道を抜けると乗り場に着きます。
雲辺寺には3度お参りしていますが下りはいつもロープウエイでした。
88か所でロープウエイが利用できるのは21番の太龍寺と66番の
雲辺寺の2つの札所で、あとは別格の箸蔵寺になります。
山道に沿ってケーブルカーがあるのは85番の八栗寺です。
空から眺める景色は気分転換にもなりますし、体への負担も
少なく、疲れている時にはお勧めです。

本堂の工事をしていたのが歩いたときか、その後に回った時かは
定かではありませんが、現在では新しい本堂でお参りが
できると思います。
この日の歩きは雲辺寺の後、別格の萩原寺から67番の大興寺、
69番の観音寺までの予定でした。
ロープウエイを降りて萩原寺へ向かう途中にはミカン畑が
広がっていました。
車ですと見落としてしまいそうですが、歩きならゆっくり景色が
流れていきますので、見ていないようでも結構覚えているものです。

獣除けのフェンスを右に見ながら歩いていると、奥の方から
女性の声がしました。
ミカン畑で作業をしていた方で、続いて男性の顔が見えました。
夫婦で収穫作業のようで、奥さんの方が両手にミカンを持って
「これ、お接待です、お気をつけて」と差し出してくれました。
振り返って思い出すと、雲辺寺を訪れた季節は晩秋から
初冬にかけてだったのかと・・・・・・。
萩原寺へ向かう道は遍路道から外れています、歩き遍路は
大興寺へは山を下っていきますから、普段も私のように
別格に寄ってから大興寺に向かう遍路もいるんだなぁ、と
考えながら接待で頂いたミカンをリュックに詰めて歩き出しました。

歩いていると何度もこうしたお接待の機会があります、そのたびに
四国のどこに行っても、人の暖かい心に触れることがあるのと
お大師さんへの信仰心の深さに気づかされます。
大興寺へは8キロ余りの歩きだったでしょうか、歩きで山を下る
よりは少し遠回りになります。
残り1キロ余りの所で歩きの道と合流しますが、それまでは
あまり遍路マークもなく少し不安でしたが、ほぼ1本道で
この辺りで道に迷うことはなさそうです。

ちょっとした事件は大興寺の後に起きました。
  
Posted by いとう茂 at 12:14Comments(0)

2021年02月20日

人生100年というけれど

人生100年時代、楽しく豊かな老後はまず健康であること、
健康寿命の延伸を考えましょう。
こんなキャッチコピーはよく見かけますが、自分の身の回りのことを
誰の世話にもならずにできることはいいことだと思いますし、異論は
ありません。
人生が100年でも50年でも同じことかも知れませんが、うちの
母親は今年90歳になります。
よぼよぼしながらも自分の足で歩いています、身の回りのことも
ほとんど自分でできますが少し認知症が入ってきたと思うことが
よくありますが、それも年齢を考えれば許容範囲だと思っています。

もし人生が50年なら母親は45歳、100年で90歳、このままあと10年生きて
いるとは思いませんが、母親を見ていて100年時代というけれど、90年でも
どうだったのだろう・・・・・・。
私の父親である伴侶を亡くしたのは26年前、後を追うように長女である実姉、
6年ほど前に実妹、昨年は実兄と4人兄妹が母親一人になってしまいました。
その間に従妹も何人か他界し、昨日は子どものころから姉弟のように
育ってきた従妹の訃報が入りました。
認知症が入ってきてショックも少なくなっているのか、実兄の時もそうでしたが
昨日の訃報にも極端な悲しさや驚きは見せませんでした。
このままの状態であと10年生きれば従妹はほとんどいなくなるでしょうし、
子どもである私もどうなっているか分からない・・・・・。

それでも生きなければいけない、そこに辛さはないのだろうか、人生100年の
ちょうど3分の1を残す年齢の私が健康で長生きして母親の年になった時に
周りの人の顔触れはどうなっているのだろう。
会者定離は世の常とはいえ、親しい人との別れは辛いものです。
残る方も逝く方も・・・・・。
あの世のことはわかりませんので逝く方が辛いかもしれませんが、それは
自分が逝ってからわかることですので、考えても仕方がない気がします。
もし人間が100年で亡くなるのなら同級生はほぼ同じ時期に亡くなり
ますからそれほど辛くはないでしょうし、年長の人が100歳で亡くなれば
100年生き切ったんだ、そんな感想を持つかもしれません。
しかし、寿命は個人で違います、あと何年、それは見えませんし、
個人差があります、さらに事故死の可能性もあり予測がつきません。

100年時代を迎えて楽しいこともたくさんあるのでしょうが、
悲しいこと、辛いこと、困ったこと、そんなこともたくさんありそうですし、
寂しさを友として日々を送ることも増えそうです。
悲観的な考えも楽観的な考えも、全部含めて考える時間は増えます。
どう考えるかで毎日の生き方も変わります。
ただ、願わくば・・・・・・、多くの人の世話になり・・・・・・
昔は元気な人だったのに・・・・・そんなことは言われたくないなぁ。
  
Posted by いとう茂 at 20:59Comments(0)

2021年02月19日

思い出し遍路62

横峰寺から車で京屋支店まで送ってもらい
荷物をもって出発しようとしたときに、旅館の女将から
「朝ごはんが出来ていますよ」暖かいのは味噌汁だけでは
ありませんでした、朝食はいらないと言って早朝に歩き出したのに
帰ってきたらおなかがすいているだろうと、朝食を用意していてくれ
たのです。
暖かい言葉と温かい朝食で身も心も満たされてだらだらと石鎚駅まで
下ります、駅の前には石鎚温泉がありゆっくり温泉に浸かって
帰る計画が・・・・閉鎖。
帰りはJRで高松まで移動です、松山の方が距離は短いのですが
また戻ってこなくてはいけませんしバスの便も午後から1便だけです。
高松なら便数も多く京都にも早く着きますし、料金も半額程度で
すみますので夕食代が出ます。
今もあるのかわかりませんが、高松駅の2階にある立ち食いの
寿司屋さんがご用達の店です。
ここで、ビールと寿司を食べて大津に帰りました。

愛媛最後の歩きは伊予西条に連泊から始まりました。
夕方に高速バスで伊予西条駅まで移動、駅前のビジネスホテルに泊まり、
翌朝は始発で石鎚駅まで戻り、そこから歩くだけで35・6キロ先の
伊予寒川駅から再び伊予西条駅までJRで帰ってくるコースになります。
途中に別格の延命寺があるためにお参りセットだけ持って身軽に
歩けます。
ほとんどが町中を歩く感じで山もありません。
次の日は始発で伊予寒川駅まで行き、そこから10キロほどちょっとした
山登りもある愛媛最後の札所の65番の三角寺にお参りして、
讃岐に入り66番の雲辺寺の上り口まで15キロほどの歩きになります。
トータルで25キロと地図ではなっていますが、歩いた感じはもっと
長く結構疲れました。
昼食がコンビニのおにぎりだけでしたので空腹もあり、雲辺寺のふもとに
行くまでに水車か風車か忘れましたが、食堂でうどんを食べました。

泊まりは徳島県の三好市、車で送迎をしてくれる温泉があります。
宿には何組かの歩き遍路も泊まっていましたが、特別話をする
こともなく、温泉に浸かって食事を済ませてそのまま就寝。
次の朝は朝食の代わりでおにぎりの弁当を持たせてくれ、昨日の
歩いてきたところまで送り届けてくれます。
雲辺寺は実は徳島県にあるのですが、ここが香川の入り口になっています。
歩き出しは何組かの遍路が一緒でしたが、上りの遍路道に入って
しばらくすると歩き遍路もばらけて、前後に歩いています。
急な上りで休んでいると後ろから来た人に追い抜かれ、しばらく上ると
今度は抜かれた人を抜き返す、そんな繰り返しでハーハー言いながら
先が見えない山場を上りました。
確かにきつい上り坂ですが、12番の焼山寺に比べれば楽なもの
と思えるから不思議です。
上り終えて開けたところに出ると、そこは参道です。
思ってたよりも早く着き少し拍子抜けの感じだったのを覚えています。
  
Posted by いとう茂 at 15:00Comments(0)