2023年01月26日

今年最初のえこステが終わりました

ひきこもり、不登校家族の会も回を重ねて32回目、令和5年最初の例会が終わりました。
前回から和太鼓の体験が始まり、今回が2回目でした。
出席、欠席、遅刻、早退が自由な家族会です、8名とちょっと少ない出席者でしたが、
めいめいが楽しそうに太鼓を叩いていました。
来月はその成果の発表会です、
自分の演奏をスマホで撮影して家族に見せるように勧めています。
今回は、市外から新しく見学者も参加してくれました。
滋賀県の精神福祉保健センターの勉強会に参加している、
えこステのメンバーが勉強会で知り合った親を誘ってくれました。
居心地のいい場所だと感じてもらえたら、これから面談を始めることになります。
広報紙や支援機関からの紹介で相談者が増えることはありましたが、
相談者が誘ってと言うケースは初めてになります。
昨年の秋から5名ほど新しいメンバーが増えていますので、
新しい人がいる安心感はあると思います。
立ち上げからのメンバーと新しいメンバーの間に垣根はありません、
それがえこステの自慢ですし、宝だと思っています。
家族と話をせずに自室にこもっている当事者から、
短期のアルバイトなら行くことができる当事者まで、
状態はそれぞれ違いますが子どもを思う親の気持ちは同じで、
参加者は自分のことと捉えているようで愚痴や批判は出ません。
意見交流会では、
大津市以外の参加者が地元の社協の職員と話をしてきたと報告してくれました。
「ひきこもりに対する支援策は何もなかったですわ」と残念そうでしたが、
権利擁護制度のパンフレットをもらってきて
「うちの子は将来的にこれのお世話になるしかないと思うねん」と話をしました。
親が高齢になり自分の死後、我が子はどうするのかと考えると、
不安でじっとしていられないのだと思います。
えこーでも知的な問題がなければ、
権利擁護グループのお世話になることを勧めています。
こことつながっていれば病気になった時には医療とつないでくれますし、
介護が必要になれば福祉につないでくれます。
時々訪問してもらえれば、家族以外の人と接する機会も生まれます。
この話も参加者の抱えている、自分の老後や死後の心配を和らげてくれると思います。
ただ、権利擁護とつながるのには当事者が「お願いします」と、
了解が必要でこれがハードルにならなければいいなと考えています。




  
Posted by いとう茂 at 10:41Comments(0)

2023年01月25日

膳所幼稚園のイベントに行ってきました

30年近く恒例になっている膳所幼稚園の園児が、
太鼓を叩くイベントに行ってきました。
まず、石鹿太鼓のメンバーが1曲演奏して、その後に園児がバチを持って叩きました。
園児を4グループに分けて、最初は自由に叩いてもらい、
それからこちらの指導で叩きました。
30分の予定が45分ほどになり、園児たちも満足そうな表情でした。
幼稚園児のイベントとは別に、石鹿太鼓にとっても大きな意味のある演奏でした。
太鼓の会ができて今年で32年になります、
立ち上げから関わっているのは私一人になりましたが、
立ち上げ後2・3年から一緒に練習をしてきたメンバーが3名います。
その中の一人が闘病中で手術や治療があり、
ここ4・5年は一緒に演奏をしていませんでした。
今回は、そのメンバーも参加してくれての演奏ができました。
この4名で叩くのはこれが最後、全員がそう思っていたと思います。
2本の杖を突いて歩行もままなりませんが杖なしで、
立ったままのバージョンに変更しての演奏を行いました。
「楽しそうに叩いてはったで」横で演奏をしていたメンバーの感想です。
私は少し前で絞め太鼓を叩いていましたので、
表情を見ることができませんでしたが、その言葉を聞いてホッとしました。
今回の演奏で欲が出て、3月12日の火まつり、
4月2日のさくらまつりも演奏したいと思ってくれたら・・・・。
望みは薄いのですが、叶うならと願っています。
  
Posted by いとう茂 at 15:55Comments(0)

2023年01月24日

FM滋賀の放送が終わりました

24日の午前8時30分から20分間、えこーのスタッフがラジオ出演をしました。
初めてのラジオ出演で緊張していたようですが、
話すことは飛ばすことなくすべて話せました。
しかし、20分の放送のためにその何倍もの時間を要しました。
先方が用意した質問の回答を考える作業から始まりましたが、
それぞれのスタッフに思いがありますので、
「この表現はこうしたらどうかな」「いや、これは残したいねん」
「そうしたらこう変えたら」「うーん。できたらこのままいきたい」
10文字ほどでもすんなりいきません。
「これは書き言葉やで、話し言葉やとこうなるのと違うか?」
「それも考えたんやけど、舌を嚙みそうでこうしたんや」
原稿を誰もが妥協の産物にしたくないと考えていますので、
そう簡単には引き下がりません。
「学校に行かないのやなくて学校に行けない、
仕事に行かないのやなくて仕事に行けない、
この言葉を入れてもらえへんかな」「気持ちはわかるけどなぁ・・・・」
こんな調子で原稿の手直しに3時間かかりました。
放送前日にはリハーサルも行いました。
手直しした原稿を読んでいくと・・・・またまた修正箇所のオンパレードでした。
「この表現は読みにくいやろ」「舌を噛みそうやわ」「そしたらこうしたらどうやろ」
「もう一遍言うて」「そっちの方が話しやすいわ、そうするよ」
20分の中に曲が1曲入りますので、実際に話せる時間は15分有る無しです。
「これで時間内に収まるか」「読んでみるし計ってくれる」
「アナウンサー役をやるよ、結構早口やったな」「ほな行くで、スタート」
3回リハーサルを行い時間はどれも13分台でしたので、
これで行こうと決めて読み原稿が完成しました。
このリハーサルも2時間かかりました。
どれだけの人が聞いてくれていて、どんな反響があるかは予想できません。
放送を聞いた家族や当事者がえこーの存在を知り、連絡をくれたらと願いますし、
ひきこもり、不登校の実態を一人でも多くの人に伝えて、
理解を深めてもらえたらと期待しています。
  
Posted by いとう茂 at 15:06Comments(0)

2023年01月23日

学校から紹介されました

今年に入って面談の申し込みがメールでえこ-に届いた相談者です。
不登校の相談で、メールには学校で紹介されましたと記載されていました。
それを読んだ時には、
学校から不登校の相談をえこーにするように勧められたのかな?
どこの学校かと、スタッフ一同で考えていました。
思い当たる学校は・・・・あそこと、あそこと、あそこ、もしかしたらあそこかなぁ。
学校の壁は高く、
こちらから情報の提供はしても学校からはなかなか情報が出てきません。
保護者からは、支援機関とえこーが知りえた情報を共有してもらって大丈夫、
と言う誓約書を交わしていますが、
それでも子どもの情報を話してもらえないことが多いのが実情です。
そして、いよいよ面談日がやってきました。
記入してもらう書類がいくつかあり、記入内容を確認してもらって面談が始まりました。
子どもの様子の話がひと段落したところで、
学校名を尋ねましたがその学校には、これまでにえこーと接点があった先生はいません。
「学校からの紹介ですよね」確認すると相談者がカバンからコピーした書類を出して
「これを貰ってメールしました」。
書類を拝見すると、子どもの居場所づくりやフリースクールを運営している団体が、
一昨年に県社協の助成金を活用して作成された冊子で、
作成にあたりえこーにも打診があり、相談窓口と家族の会の記事の掲載をお願いしました。
「学校に行きづらい 子どもたちのための 
育ちと学びのサポートブック」長いタイトルですが作成者の思いの詰まったタイトルです。
冊子が完成した時に何冊かいただいていましたので、コピーを見てすぐに分かりました。
この冊子を各学校にも配布していた効果が出た形です。
冊子を作成するにあたり、行政の機関が掲載を断わっているという話を聞きました。
県社協の助成金で作成するのに、もう少し協力してくれてもいいのに、
そんな話をしていた覚えがあります。
正確には学校からの紹介ではありませんが、
民間だけでなく学校や公的な支援機関もこうしたサポートブックを活用して、
垣根を越えて苦しんでいる親子にアプローチできる体制を作って頂けたらと願います。
  
Posted by いとう茂 at 15:39Comments(0)

2023年01月21日

阪神淡路大震災から28年が過ぎました

大津でも震度5の地震だったと記憶しています。
突き上げるような揺れで、枕もとの本棚を寝ながら抑えていました。
詳しいニュースがほとんどなく、阪神高速道路が倒れている映像や、
ヘリコプターから撮った地上で火災が発生している様子などで、
被害の全容はすぐには出ませんでした。
商店街の有志で炊き出しに行ったのは震災から1週間程度経ってからだったと思います。
大津市の総務課長の承認がないと被災地まで車で行けません、
何度かお願いしたのですが承認が出ないので、
市長が登庁する時間を狙ってアポなしで直談判、
市長の「行ってくれるのか」の言葉が熱かった記憶があります。
炊き出しを行う学校は、現地の災害対策本部のような所で教えてもらいました。
2000食ほどの食料と大きな釜、ポリタンク、薪をトラックに積んで深夜に出発でした。
それまでは炊き出しの下準備で、
支所の調理室に商店街のメンバーが集まって材料に火を入れる作業でした。
炊き出しとは別に綿菓子の機械とザラメ、延長コードも積んでいきました。
炊き出しができるまでは総出で準備ですが、配る段階では人が余ります、
校舎に電気が来ていることを確認して綿菓子を一人で作り始めました。
子どもたちに混じって高齢者も並んでいます、
たくさん作るので大きな綿菓子はできませんが、
無表情で並んでいる顔が綿菓子を渡すと笑顔に変わりました。
1月の校庭で暖房もないのに汗ばんでいました。
私一人で作っているのを見かねたのか、
若い女性が横に来て無言で手伝ってくれました。
できた綿菓子を並んでいる人に渡すだけでなく、
「砂糖を入れて」と紙コップを渡すと入れてくれますし
「割り箸を割って」と言えば割ってくれます。
これは助かりました、綿菓子を作ることだけに専念できますので効率が上がります。
炊き出しの方も持ってきたものすべてがなくなり、
ポリタンクも現地に置いてきました。
綿菓子も砂糖がなくなって終了し後片付けをしていると、
手伝ってくれていた女性が「また来てくれますか」と言葉を発しました。
全国から炊き出しにきても一度きり、
「また来たよ」と来るボランティアはいないのかも知れない。
そう考えて「また来ます」、この約束は1か月後に果たすことができました。
どんな女性だったか、顔立ちは、服装は、年齢は、
まるで記憶になかったのですが、向こうが覚えてくれていました。
あのし尿臭に満ちた校舎での生活はさぞ大変だったと思います。
2回目の炊き出しはこちらの人数も多く、最初から綿菓子づくりでした、
ザラメも1回目よりも増やして時間もありますので一回り大きな綿菓子が作れました。
相変わらず無口な女性ですが、前回よりもテキパキ動いてくれていました。
大人と子どもが半分ずつくらいだったでしょうか、
「ありがとう」「ありがとう」の連呼でしたが、こちらが「ありがとう」です。
こんなことしかできない自分、家に帰ったら暖かいものを腹いっぱい食べられます。
2回目の炊き出しはうどんが2000玉、
それも自分の財布から出たお金ではありません、商店街の会計から出しています。
ボランティアって何だろう、時々そんなことを考えます。
  
Posted by いとう茂 at 08:10Comments(0)