2025年01月17日

日曜日の読書から④

亀井勝一郎の「思想の花びら」から抜粋の続きです。
・多忙であることによって、自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことができる。
多忙とは現代における怠惰の一形式ではなかろうか。

・せっかく本を読んでも、忘れてしまうといって悲観している人がいる。
読書を貯金と思っているらしい。
忘れてしまうのが当然だ。
忘れようと思っても忘れられない一句があったら、それだけがあなたの血肉となる。
あっさり忘れてしまって、そのまま体内にひそんでいることだってある。
読んだ本をいちいち記憶している人がいるとすれば、それは慢性消化不良症ともいうべき精神の病気である。

・私は薮入りの風景をなつかしむ。
正月と盆と、一年に二度、休暇をとって故郷へ帰る若い男女の、いそいそとした態度や、あの新鮮なよそおいほど心うつものはない。
薮入りは封建時代の習慣の名残りだけではあるまい。
家を遠く離れて働くものすべてに共通した深い郷愁がそこにある。
父母に送られて出発したあの小さな駅に、ふたたび降り立つ日だ。
こうして人生の年輪が刻みこまれる。

・政治的危機が、精神の危機そのものとして露出してくるのが現代の特徴である。
すべてが濫用され、急速度で、好奇心は絶えず分散を迫られ、そしてすみやかな忘却で終わることを私は指しているのである。

・政治家を評価する時の私の基準がある。
その政治的能力だけでなく、その能力について彼がはにかみの心を抱いているかどうかと言う点である。

・重大なことをさりげなく言う人と、つまらぬことを重大らしく言う人と、これも政治家を評価する時の基準となるであろう。
評論家の場合も然り。
  
Posted by いとう茂 at 09:04Comments(0)