2025年01月18日

阪神淡路大震災

平成7年の阪神淡路大震災から30年になりました。
兵庫県では各地で黙とう、追悼式が開催され神戸では天皇・皇后両陛下も参列されて、追悼式が営まれました。
テレビを見ていると「風化」という言葉も何度か聞き、30年という歳月は未曽有の大災害も時のかなたに押しやることを実感しました。
この30年に生まれた人は人口の4割程度になるのでしょうか。
当時は防災の知識が今よりも乏しく、上空を旋回するヘリコプターの音で壊れた家に閉じ込められている人の「助けて」の声が聞こえないという報道もありました。
新しい家を建てることを諦めて神戸を後にした人は大勢いましたし、現在でも仮設住宅に住み続けている人もいます。
阪神淡路大震災では災害関連死も多く、中越地震ではこの時の教訓を生かして山古志村の住民が長岡市の仮設住宅に避難した際に、集落ごとに仮設住宅に入居して、地域のコミュニケーションの確保に努めていました。
人間は一人では生きていけない生き物だと証明する対策ともいえるでしょう。
日常的なCO²の排出による地球の温暖化、それによっておこる異常気象、個人の判断になったとはいえコロナ前よりもマスクの着用率は高いと思いますが、それでもインフルエンザが猛威を振るっています。
人間はよく言えば順応性がある、悪く言えばその状態に慣れて安心してしまうところがあります。
語り部が大震災の様子を語っていても、耳を傾け自分はどうするかを考える人は少ないように感じます。
阪神淡路大震災が風化してきているとすれば、第二次世界大戦の終戦から80年を迎える今年、戦争に対する感情をどう国民は受け止めるのでしょう。
もう20年すると大震災50年、終戦100年を迎えます。
その時には、まるで学校の授業のように映像と活字で、こうした出来事を教材として学ぶだけで終わるようにも感じます。
人間は物を忘れることで平穏に生きていられる側面がありますが、忘れてはいけないことを忘れないまでも、日々の刺激に興味がいき疎かにする側面もあります。
喉元を過ぎても、1月17日に起きたことは消えません。
無力な生き物ゆえに、知恵を出し合って命を守ることについての議論が必要な気がします。

  
Posted by いとう茂 at 17:01Comments(0)