2025年01月24日
お遍路さんが来ました
この前、2月に四国に行くと言っていた夫婦に、遍路道の説明をしてから夫婦でコースを検討して、ご主人だけやって来ました。
「こんにちは、コースを途中までですが考えてきました、ご指導をお願いします」
「そんな大そうな事はできませんよ、私の経験からしか話ができませんわ、コースが組めましたか」
「伊予大須には京都から夜行の高速バスでいきます、内子までが約18キロ昼食はここでと考えています。そこから樂水大師までが16・7キロで、この辺りに民宿がありますのでそこに泊まります」
「1日目は30キロ余りですね、内子からは単調な道が続きますから案外疲れますよ。44番の大宝寺までが残り20キロくらいですね」
「そうなりますので、後6・7キロ歩いて古岩屋荘に泊まろうかと計画しています、時間があれば45番の岩屋寺まで足を延ばします」
「古岩屋荘からですと往復で4キロ余り、早ければ荷物を預けて歩けますね」
「それも考えています、無理なら3日目は6時過ぎに出て7時に岩屋寺のお参りをします」
「私も古岩屋荘に泊まりましたわ、ガラス張りだった記憶がありますが、中の様子は忘れました、無理に岩屋寺にお参りしなくても3日目でもいいと思いますよ、体調次第ですね」
「そうなんです、3日目はゆったりコースで46番の浄瑠璃寺か47番の八坂寺あたりに泊まります、30キロほどです」
「それでいいと思いますよ、三坂峠までは上りですし足に負担もかかりますからね、今は分かりませんがこのあたりには飲食店がありませんので、大宝寺まで戻ってくると物産館がありましたので昼食になりそうなものがあれば調達するのもいいですね」
「パンかおにぎりがあればいいのですが、電話で問い合わせてみます」
「それが確実ですね」
「ここまでは組めたのですが、次の日を午前中だけ歩いて道後温泉に浸かるか、それとも53番の円明寺まで歩いてその付近の民宿か悩んでいます」
「ここまで結構速いペースで回ってきましたので、温泉でどうですか、夜は愛媛の海の幸もありますしね」
「やっぱりそれがいいですか、私は歩こうと言ってるのですが、嫁さんが道後温泉にこだわってましてね。それじゃ、道後温泉で組んでみますわ」
ここからは次回にします。
「こんにちは、コースを途中までですが考えてきました、ご指導をお願いします」
「そんな大そうな事はできませんよ、私の経験からしか話ができませんわ、コースが組めましたか」
「伊予大須には京都から夜行の高速バスでいきます、内子までが約18キロ昼食はここでと考えています。そこから樂水大師までが16・7キロで、この辺りに民宿がありますのでそこに泊まります」
「1日目は30キロ余りですね、内子からは単調な道が続きますから案外疲れますよ。44番の大宝寺までが残り20キロくらいですね」
「そうなりますので、後6・7キロ歩いて古岩屋荘に泊まろうかと計画しています、時間があれば45番の岩屋寺まで足を延ばします」
「古岩屋荘からですと往復で4キロ余り、早ければ荷物を預けて歩けますね」
「それも考えています、無理なら3日目は6時過ぎに出て7時に岩屋寺のお参りをします」
「私も古岩屋荘に泊まりましたわ、ガラス張りだった記憶がありますが、中の様子は忘れました、無理に岩屋寺にお参りしなくても3日目でもいいと思いますよ、体調次第ですね」
「そうなんです、3日目はゆったりコースで46番の浄瑠璃寺か47番の八坂寺あたりに泊まります、30キロほどです」
「それでいいと思いますよ、三坂峠までは上りですし足に負担もかかりますからね、今は分かりませんがこのあたりには飲食店がありませんので、大宝寺まで戻ってくると物産館がありましたので昼食になりそうなものがあれば調達するのもいいですね」
「パンかおにぎりがあればいいのですが、電話で問い合わせてみます」
「それが確実ですね」
「ここまでは組めたのですが、次の日を午前中だけ歩いて道後温泉に浸かるか、それとも53番の円明寺まで歩いてその付近の民宿か悩んでいます」
「ここまで結構速いペースで回ってきましたので、温泉でどうですか、夜は愛媛の海の幸もありますしね」
「やっぱりそれがいいですか、私は歩こうと言ってるのですが、嫁さんが道後温泉にこだわってましてね。それじゃ、道後温泉で組んでみますわ」
ここからは次回にします。
Posted by いとう茂 at
15:08
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2025年01月23日
講演会が終わりました
1月21日は大津保護司会中部地域の研修会でした。
その研修会でえこーが「寄り添う」をテーマに講演してきました。
私にすれば古巣での講演で、顔見知りがほとんどで懐かしい気持ちで話ができました。
保護司の他に更生保護女性会も参加しての研修会でしたが、参加者は熱心に聞いてくれ、他の講演会ではほとんど質問が出ないのに、突っ込んだ質問もあり充実した時間だったと感じています。
受刑者の13%以上が発達障害かその疑いありというデータもあり、保護観察対象者の中にもこうした障害がある人もいます。
面談で個別に話をする保護司にとっては、質問と噛み合わない答えに戸惑った経験がある人がいても不思議ではありません。
ただ発達障害イコール犯罪者といった図式だけは避けたいと考えて、言葉を選んでの講演でした。
会議の法則によれば、会議の成果は出席者の数と会場の広さに反比例する。
つまり出席者が少なくて会場が狭いほど成果が上がるということです。
出席者は30名足らずで会場の設営は空席がないように少なくしてありました。
えこーの講演内容だけではなく、もしかしたら会議の法則に合致していたのかも知れません。
そう考えると少し空しくなりますので、時期を得た講演だと自己満足しておこう。
その研修会でえこーが「寄り添う」をテーマに講演してきました。
私にすれば古巣での講演で、顔見知りがほとんどで懐かしい気持ちで話ができました。
保護司の他に更生保護女性会も参加しての研修会でしたが、参加者は熱心に聞いてくれ、他の講演会ではほとんど質問が出ないのに、突っ込んだ質問もあり充実した時間だったと感じています。
受刑者の13%以上が発達障害かその疑いありというデータもあり、保護観察対象者の中にもこうした障害がある人もいます。
面談で個別に話をする保護司にとっては、質問と噛み合わない答えに戸惑った経験がある人がいても不思議ではありません。
ただ発達障害イコール犯罪者といった図式だけは避けたいと考えて、言葉を選んでの講演でした。
会議の法則によれば、会議の成果は出席者の数と会場の広さに反比例する。
つまり出席者が少なくて会場が狭いほど成果が上がるということです。
出席者は30名足らずで会場の設営は空席がないように少なくしてありました。
えこーの講演内容だけではなく、もしかしたら会議の法則に合致していたのかも知れません。
そう考えると少し空しくなりますので、時期を得た講演だと自己満足しておこう。
Posted by いとう茂 at
09:05
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2025年01月22日
一周忌・納骨
1月19日に母親の一周忌と納骨が終わりました。案内したのは母親の甥と姪、それに息子と孫だけでした。
仏壇の横に台を置いて1年遺骨を祀ってきました。
私より1歳年上の姪が昨年亡くなっていますので、ひっそりとした一周忌でしたが、血縁者ばかりの方が母親も喜ぶと考えてのことです。
甥と姪、6名ですが横浜、所沢にいる甥と姪には遠いからわざわざ足を運んでもらわなくてもいいと伝えてありましたので欠席でした。母親は1男3女の次女で、上も下もすべて亡くなっています。
若い僧侶の読経を聞きながら、従姉弟6名ともこれで縁が薄くなるなぁと考えていました。
母方の従兄妹が6名、父方が7名います、そのうち市内在住が5名で半数以上が県外在住と、顔を合わせるのがそれぞれの親の葬式くらいで親近感はあっても遠い存在です。
子どもの頃にはよく遊びましたが、時間の経過とともに互いの道が離れて気がつくと距離が開いています。
従兄妹よりも我が子、孫ができているのですから、それも仕方のないことです。
同級生でもそうですが、会えば意気投合しますが普段は違う世界で生活しています。
従兄妹や同級生と私をつなぐものは「従兄妹」同級生」という言葉だけなのかもしれません。
三回忌や七回忌には集まることがなく、息子と孫だけの法事になると考えています。
人と人との縁も、それをつなぐ要が亡くなると自然と解けて「近い他人」になっていくものだと感じます。
仏壇の横に台を置いて1年遺骨を祀ってきました。
私より1歳年上の姪が昨年亡くなっていますので、ひっそりとした一周忌でしたが、血縁者ばかりの方が母親も喜ぶと考えてのことです。
甥と姪、6名ですが横浜、所沢にいる甥と姪には遠いからわざわざ足を運んでもらわなくてもいいと伝えてありましたので欠席でした。母親は1男3女の次女で、上も下もすべて亡くなっています。
若い僧侶の読経を聞きながら、従姉弟6名ともこれで縁が薄くなるなぁと考えていました。
母方の従兄妹が6名、父方が7名います、そのうち市内在住が5名で半数以上が県外在住と、顔を合わせるのがそれぞれの親の葬式くらいで親近感はあっても遠い存在です。
子どもの頃にはよく遊びましたが、時間の経過とともに互いの道が離れて気がつくと距離が開いています。
従兄妹よりも我が子、孫ができているのですから、それも仕方のないことです。
同級生でもそうですが、会えば意気投合しますが普段は違う世界で生活しています。
従兄妹や同級生と私をつなぐものは「従兄妹」同級生」という言葉だけなのかもしれません。
三回忌や七回忌には集まることがなく、息子と孫だけの法事になると考えています。
人と人との縁も、それをつなぐ要が亡くなると自然と解けて「近い他人」になっていくものだと感じます。
Posted by いとう茂 at
19:44
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2025年01月20日
新年会
忘年会はゼロで唯一の新年会が18日にありました。
男ばかり6名、本来は男7名の会ですが仕事で1名欠席でした。
場所はお好み焼き屋さんで、隣り合った机に分かれて座りました。
全員が共通の話題で盛り上がるということはなく、それぞれの机で話題も違います。
話すことよりも飲む方が優先し、その次が食べることで、話すことは最後になります。
それでも年齢差も関係なく遠慮なしの会で、気楽に座っていられます。
年末に24時間1泊2日旅行に行ったメンバーで、旅行と新年会が恒例になっています。
地声が大きいのか酔って声が大きくなるのか分かりませんが、このメンバーが集まると、こちらも大声で話さないと相手に聞こえないので通じません。
メンバーは長い人では子どもの時から釣りに行っていた人もいますし、新しい人と言っても20年は経過しています。
よく飲みよく食べ大声で話すグループは、周りから迷惑がられると思っていますが、この店は顔なじみのお客さんばかりで、許しを期待して甘えておきます。
気がつくと複数の人と集まる機会はこのグループだけになっています。
えこーの活動でこれまでの人たちとの集まりはほとんど欠席しています。
それも自分が選んだ道です、個別には何人かの人と細いながらもつながっていますので、まっいいかと考えています。
気分も新たになり寒い中を歩いて帰ってきました。
人は自分を高めてくれる友達だけでなく、気兼ねせずに素を出せる友達も必要なのだと改めて感じています。
男ばかり6名、本来は男7名の会ですが仕事で1名欠席でした。
場所はお好み焼き屋さんで、隣り合った机に分かれて座りました。
全員が共通の話題で盛り上がるということはなく、それぞれの机で話題も違います。
話すことよりも飲む方が優先し、その次が食べることで、話すことは最後になります。
それでも年齢差も関係なく遠慮なしの会で、気楽に座っていられます。
年末に24時間1泊2日旅行に行ったメンバーで、旅行と新年会が恒例になっています。
地声が大きいのか酔って声が大きくなるのか分かりませんが、このメンバーが集まると、こちらも大声で話さないと相手に聞こえないので通じません。
メンバーは長い人では子どもの時から釣りに行っていた人もいますし、新しい人と言っても20年は経過しています。
よく飲みよく食べ大声で話すグループは、周りから迷惑がられると思っていますが、この店は顔なじみのお客さんばかりで、許しを期待して甘えておきます。
気がつくと複数の人と集まる機会はこのグループだけになっています。
えこーの活動でこれまでの人たちとの集まりはほとんど欠席しています。
それも自分が選んだ道です、個別には何人かの人と細いながらもつながっていますので、まっいいかと考えています。
気分も新たになり寒い中を歩いて帰ってきました。
人は自分を高めてくれる友達だけでなく、気兼ねせずに素を出せる友達も必要なのだと改めて感じています。
Posted by いとう茂 at
20:17
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2025年01月18日
阪神淡路大震災
平成7年の阪神淡路大震災から30年になりました。
兵庫県では各地で黙とう、追悼式が開催され神戸では天皇・皇后両陛下も参列されて、追悼式が営まれました。
テレビを見ていると「風化」という言葉も何度か聞き、30年という歳月は未曽有の大災害も時のかなたに押しやることを実感しました。
この30年に生まれた人は人口の4割程度になるのでしょうか。
当時は防災の知識が今よりも乏しく、上空を旋回するヘリコプターの音で壊れた家に閉じ込められている人の「助けて」の声が聞こえないという報道もありました。
新しい家を建てることを諦めて神戸を後にした人は大勢いましたし、現在でも仮設住宅に住み続けている人もいます。
阪神淡路大震災では災害関連死も多く、中越地震ではこの時の教訓を生かして山古志村の住民が長岡市の仮設住宅に避難した際に、集落ごとに仮設住宅に入居して、地域のコミュニケーションの確保に努めていました。
人間は一人では生きていけない生き物だと証明する対策ともいえるでしょう。
日常的なCO²の排出による地球の温暖化、それによっておこる異常気象、個人の判断になったとはいえコロナ前よりもマスクの着用率は高いと思いますが、それでもインフルエンザが猛威を振るっています。
人間はよく言えば順応性がある、悪く言えばその状態に慣れて安心してしまうところがあります。
語り部が大震災の様子を語っていても、耳を傾け自分はどうするかを考える人は少ないように感じます。
阪神淡路大震災が風化してきているとすれば、第二次世界大戦の終戦から80年を迎える今年、戦争に対する感情をどう国民は受け止めるのでしょう。
もう20年すると大震災50年、終戦100年を迎えます。
その時には、まるで学校の授業のように映像と活字で、こうした出来事を教材として学ぶだけで終わるようにも感じます。
人間は物を忘れることで平穏に生きていられる側面がありますが、忘れてはいけないことを忘れないまでも、日々の刺激に興味がいき疎かにする側面もあります。
喉元を過ぎても、1月17日に起きたことは消えません。
無力な生き物ゆえに、知恵を出し合って命を守ることについての議論が必要な気がします。
兵庫県では各地で黙とう、追悼式が開催され神戸では天皇・皇后両陛下も参列されて、追悼式が営まれました。
テレビを見ていると「風化」という言葉も何度か聞き、30年という歳月は未曽有の大災害も時のかなたに押しやることを実感しました。
この30年に生まれた人は人口の4割程度になるのでしょうか。
当時は防災の知識が今よりも乏しく、上空を旋回するヘリコプターの音で壊れた家に閉じ込められている人の「助けて」の声が聞こえないという報道もありました。
新しい家を建てることを諦めて神戸を後にした人は大勢いましたし、現在でも仮設住宅に住み続けている人もいます。
阪神淡路大震災では災害関連死も多く、中越地震ではこの時の教訓を生かして山古志村の住民が長岡市の仮設住宅に避難した際に、集落ごとに仮設住宅に入居して、地域のコミュニケーションの確保に努めていました。
人間は一人では生きていけない生き物だと証明する対策ともいえるでしょう。
日常的なCO²の排出による地球の温暖化、それによっておこる異常気象、個人の判断になったとはいえコロナ前よりもマスクの着用率は高いと思いますが、それでもインフルエンザが猛威を振るっています。
人間はよく言えば順応性がある、悪く言えばその状態に慣れて安心してしまうところがあります。
語り部が大震災の様子を語っていても、耳を傾け自分はどうするかを考える人は少ないように感じます。
阪神淡路大震災が風化してきているとすれば、第二次世界大戦の終戦から80年を迎える今年、戦争に対する感情をどう国民は受け止めるのでしょう。
もう20年すると大震災50年、終戦100年を迎えます。
その時には、まるで学校の授業のように映像と活字で、こうした出来事を教材として学ぶだけで終わるようにも感じます。
人間は物を忘れることで平穏に生きていられる側面がありますが、忘れてはいけないことを忘れないまでも、日々の刺激に興味がいき疎かにする側面もあります。
喉元を過ぎても、1月17日に起きたことは消えません。
無力な生き物ゆえに、知恵を出し合って命を守ることについての議論が必要な気がします。
Posted by いとう茂 at
17:01
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