2024年12月25日
一足早い里帰り
娘夫婦と孫が29日に帰ってくる予定です、帰りは・・・30日。
1泊2日の里帰りです、帰って来る目的はお節料理を持って帰るため、孫は年内にもらえるお年玉が目当てです。
愛知県と滋賀県ですから車で2時間かからない距離で、先月もつくしが亡くなる日に帰ってきました。
娘の家は夫婦の友人と子どもの友人がたむろするようで、お節料理も元旦まであるかどうか分かりませんが、食事を作る手間と費用は節約できます。
姑から嫁へ、嫁から娘へ受け継がれるべき家の味は、私の代で途切れそうです。
お節料理には台所を切り盛りする人を休ませるという意味もあります。
娘家族を休ませるために嫁は大忙しで、何となくウキウキ感が漂っています。
昔は正月と祭りには親戚一同が集まって賑やかな夕げでしたが、今では夫婦だけの夕げが通年です。
孫の声が弾む夕げは1泊2日で2度あると思います。
テレビに相槌を打つ夕食が、孫の食べっぷりを見てニコニコするものになります。
母親も亡くなり私には帰る場所はありません、今の家が居場所です。
帰る所があるということは幸せなことですし、やすらぎにもなります。
娘がそのことをわかる日が来るのか想像できませんが、帰る所で待つ役割を果たしてやりたいと考えています。
1泊2日の里帰りです、帰って来る目的はお節料理を持って帰るため、孫は年内にもらえるお年玉が目当てです。
愛知県と滋賀県ですから車で2時間かからない距離で、先月もつくしが亡くなる日に帰ってきました。
娘の家は夫婦の友人と子どもの友人がたむろするようで、お節料理も元旦まであるかどうか分かりませんが、食事を作る手間と費用は節約できます。
姑から嫁へ、嫁から娘へ受け継がれるべき家の味は、私の代で途切れそうです。
お節料理には台所を切り盛りする人を休ませるという意味もあります。
娘家族を休ませるために嫁は大忙しで、何となくウキウキ感が漂っています。
昔は正月と祭りには親戚一同が集まって賑やかな夕げでしたが、今では夫婦だけの夕げが通年です。
孫の声が弾む夕げは1泊2日で2度あると思います。
テレビに相槌を打つ夕食が、孫の食べっぷりを見てニコニコするものになります。
母親も亡くなり私には帰る場所はありません、今の家が居場所です。
帰る所があるということは幸せなことですし、やすらぎにもなります。
娘がそのことをわかる日が来るのか想像できませんが、帰る所で待つ役割を果たしてやりたいと考えています。
Posted by いとう茂 at
14:43
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2024年12月24日
日曜日の読書
日曜日に読書をするようになって、1年半になります。
週1回の読書で時間にすると4・5時間、毎回約1時間おきに読む本を変えていますので、1冊読み終わるのに時間がかかります。
1度は読んだことがありますが、ほとんど内容が残っていないものもあり記憶力の悪さを痛感することもしばしばです。
司馬遼太郎の「空海の風景」はもう3カ月近く読んでいますが、ようやく8割程度で上下巻がありますので、2冊読み終わるのは来年の春から初夏になりそうです。
反対に城山三郎の本は読む速度も速く、今年最後の29日の日曜日には読み終わりそうです。
読み手と作者の相性もあるのかと感じています。
早く読むのが目的ではありませんので、ゆっくりでもいいのですがこの先何冊くらい読めるのだろうと本棚を眺めることも度々です。
人は自分がやりたいことをすべてやり終えて亡くなるのではないと思います。
寿命が分からないから生きていられるようにも感じます。
何かをしようとすれば時間が必要になります、その時間をどのように使っているかでその人の生き方が見えてくるのではないか、自分の生き方だけでなく読書を通してより多い人の生き方に触れる、このことに価値がありそうに感じていますので、この先も日曜日の読書は継続ですが、、最近目が悪くなり読書の妨げになっていますが、人は何かに逆らいながら生きる面もありますので、まっ、いいかぁ。
週1回の読書で時間にすると4・5時間、毎回約1時間おきに読む本を変えていますので、1冊読み終わるのに時間がかかります。
1度は読んだことがありますが、ほとんど内容が残っていないものもあり記憶力の悪さを痛感することもしばしばです。
司馬遼太郎の「空海の風景」はもう3カ月近く読んでいますが、ようやく8割程度で上下巻がありますので、2冊読み終わるのは来年の春から初夏になりそうです。
反対に城山三郎の本は読む速度も速く、今年最後の29日の日曜日には読み終わりそうです。
読み手と作者の相性もあるのかと感じています。
早く読むのが目的ではありませんので、ゆっくりでもいいのですがこの先何冊くらい読めるのだろうと本棚を眺めることも度々です。
人は自分がやりたいことをすべてやり終えて亡くなるのではないと思います。
寿命が分からないから生きていられるようにも感じます。
何かをしようとすれば時間が必要になります、その時間をどのように使っているかでその人の生き方が見えてくるのではないか、自分の生き方だけでなく読書を通してより多い人の生き方に触れる、このことに価値がありそうに感じていますので、この先も日曜日の読書は継続ですが、、最近目が悪くなり読書の妨げになっていますが、人は何かに逆らいながら生きる面もありますので、まっ、いいかぁ。
Posted by いとう茂 at
15:28
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2024年12月23日
打ち納め
今日は和太鼓廻向の年内最終練習でした。
活動を始めて2カ月ほどになりますが、「楽しくうまく」が基本方針で、楽しい中にも厳しい部分を交えて3名のメンバーで刺激しあって練習をしてきました。
ようやく1曲が完成間近になりましたが、課題は最年長の私の物覚えです。
曲の流れは理解していますが、30年以上打ってきたリズムとは違うリズムになりますので、体が反応しなくて他のメンバーの足を引っ張っています。
4曲完成させて、来年の秋まつりにはデビューしたいが、メンバー全員の目標です。
体力は極端には落ちていませんが、記憶力は年々低下していますので、改めてそのギャップを感じています。
やる以上は中途半端なことはできませんので、徹底して自分を追い込む覚悟ですが、年齢にどこまで抗うことができるのか・・・。
今年最後の練習もかなり打ち込みました、いくつになっても伸びしろはある、そう信じて来年も頑張りたいと考えています。
活動を始めて2カ月ほどになりますが、「楽しくうまく」が基本方針で、楽しい中にも厳しい部分を交えて3名のメンバーで刺激しあって練習をしてきました。
ようやく1曲が完成間近になりましたが、課題は最年長の私の物覚えです。
曲の流れは理解していますが、30年以上打ってきたリズムとは違うリズムになりますので、体が反応しなくて他のメンバーの足を引っ張っています。
4曲完成させて、来年の秋まつりにはデビューしたいが、メンバー全員の目標です。
体力は極端には落ちていませんが、記憶力は年々低下していますので、改めてそのギャップを感じています。
やる以上は中途半端なことはできませんので、徹底して自分を追い込む覚悟ですが、年齢にどこまで抗うことができるのか・・・。
今年最後の練習もかなり打ち込みました、いくつになっても伸びしろはある、そう信じて来年も頑張りたいと考えています。
Posted by いとう茂 at
22:34
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2024年12月22日
今年が終わります
今年も残りが10日を切りました、毎年、年の瀬になると「今年も終わりか」と考えています。
何とか生きている自分がいて、神や仏に感謝です。
今年は近い人がたくさん亡くなりました、身内では母親、一つ違いの従姉、義兄、友人では殺された保護司をはじめ麻雀をよくしていた人、一緒に太鼓を叩いていた人、友人はすべて私よりも年下で、とどめは「つくし」です。
いいことは重ならないが悪いことは重なると、死んだ父親が言っていたのを思い出しました。
いつか自分の番が回ってくるまで、誰かとの別れは避けられません。
若いうちなら悲しみや寂しさに浸っている時間があまりないかも知れませんが、年を重ねるにつれて亡くなった人のことを思う時間が長くなるように感じます。
ここからが心のひだが細かくなるか、粗いままかが決まり人としてもう一段成長できるかの分岐点のような気がします。
普段何気なく出会っている人ともいつか別れが来ます、そう考えると人との出会いを大切にしなければと感じます。
元気だから長生きで病弱だから短命とは限らないのが寿命です。
若いから長生き、高齢だから老い先短いとも限りません。
亡くなる順番も決まっていません。
今年も残り10日を切ったと言っても新年を迎えられる保証はありません、時間と出会う人に丁寧に対応することが大切、その事をより実感できる年齢になっている自分がいます。
短気ですぐにイライラすることもありますが、そうならずに気長に丁寧に人と接して、時間を楽しく使うことを明日からの目標にしたいと思います。
何とか生きている自分がいて、神や仏に感謝です。
今年は近い人がたくさん亡くなりました、身内では母親、一つ違いの従姉、義兄、友人では殺された保護司をはじめ麻雀をよくしていた人、一緒に太鼓を叩いていた人、友人はすべて私よりも年下で、とどめは「つくし」です。
いいことは重ならないが悪いことは重なると、死んだ父親が言っていたのを思い出しました。
いつか自分の番が回ってくるまで、誰かとの別れは避けられません。
若いうちなら悲しみや寂しさに浸っている時間があまりないかも知れませんが、年を重ねるにつれて亡くなった人のことを思う時間が長くなるように感じます。
ここからが心のひだが細かくなるか、粗いままかが決まり人としてもう一段成長できるかの分岐点のような気がします。
普段何気なく出会っている人ともいつか別れが来ます、そう考えると人との出会いを大切にしなければと感じます。
元気だから長生きで病弱だから短命とは限らないのが寿命です。
若いから長生き、高齢だから老い先短いとも限りません。
亡くなる順番も決まっていません。
今年も残り10日を切ったと言っても新年を迎えられる保証はありません、時間と出会う人に丁寧に対応することが大切、その事をより実感できる年齢になっている自分がいます。
短気ですぐにイライラすることもありますが、そうならずに気長に丁寧に人と接して、時間を楽しく使うことを明日からの目標にしたいと思います。
Posted by いとう茂 at
20:25
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2024年12月21日
つくしの写真
つくしと出会うことはあまりなかったのですが、いつもつくしのことを話していた近くの奥さんから、つくしの写真を所望されました。
アルバムに整理したつくしの写真はどれも可愛く(犬バカ)どれを渡そうかと悩みました。
額がL判でしたので、それに合う写真をアルバムから取り出して届けました。
「これでつくしちゃんに毎日会える」と奥さんは喜んでくれました。
人の値打ちは死んでからわかると言いますが、つくしの値打ちも同じなのかもしれません。
亡くなったと知ってお花を供えてくれた人も数人いますし、今回の写真もそうですが、本当に多くの人に可愛がってもらっていたことが分かります。
それだけつくしに魅力があったのだと思います。
ワンワン吠えた人は3人、その他の人には尻尾を振って甘えるばかりでした、小学生が窓ガラス越しに見えるとガラスに飛びついて愛嬌を振りまいていました。
人の記憶は時間が経てば薄れていきます、それでも写真を目に付くところに飾ってもらっている限り、記憶が薄れることはありません。
毎日、アルバムを開いて写真を撫でながら独り言、耳の底にはつくしの鳴き声が残っています。
目の奥にはつくしの姿が残っています。
走り回る姿、寝ている姿、おいしそうに一緒のご飯を食べる姿、時には歯をむき出しにして怒ることもありました。
指を噛まれて何度か血を流したこともあります、それも元は私のかまいすぎです。
写真を見て独り言を言う人が増えたことはつくしにとって嬉しいことだと思っています。
アルバムに整理したつくしの写真はどれも可愛く(犬バカ)どれを渡そうかと悩みました。
額がL判でしたので、それに合う写真をアルバムから取り出して届けました。
「これでつくしちゃんに毎日会える」と奥さんは喜んでくれました。
人の値打ちは死んでからわかると言いますが、つくしの値打ちも同じなのかもしれません。
亡くなったと知ってお花を供えてくれた人も数人いますし、今回の写真もそうですが、本当に多くの人に可愛がってもらっていたことが分かります。
それだけつくしに魅力があったのだと思います。
ワンワン吠えた人は3人、その他の人には尻尾を振って甘えるばかりでした、小学生が窓ガラス越しに見えるとガラスに飛びついて愛嬌を振りまいていました。
人の記憶は時間が経てば薄れていきます、それでも写真を目に付くところに飾ってもらっている限り、記憶が薄れることはありません。
毎日、アルバムを開いて写真を撫でながら独り言、耳の底にはつくしの鳴き声が残っています。
目の奥にはつくしの姿が残っています。
走り回る姿、寝ている姿、おいしそうに一緒のご飯を食べる姿、時には歯をむき出しにして怒ることもありました。
指を噛まれて何度か血を流したこともあります、それも元は私のかまいすぎです。
写真を見て独り言を言う人が増えたことはつくしにとって嬉しいことだと思っています。
Posted by いとう茂 at
10:55
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2024年12月20日
ほのぼのした光景でした
えこーの買い物があり、ショッピングセンターに行ってきました。
あまり行くことのない店でしたので、レイアウトが分からず店内をウロウロしていました。
1階のイートスペースを歩いていると、見た顔がありました。
夫婦で来ていて何か楽しそうに話をしています、この夫婦の仲人を29年前にしています。
現在は仲人という役割はほとんどなくなったようですが、わずか30年ほどで時代も大きく変わっていることを認識させられました。
この前、旦那と出会って「来年は結婚30年やな」と話すと「そんななるんですか・・・」「結婚したのは32歳やったやろ、いくつになった」「ほんまや、ちょっとも気が付きませんでしたわ」そんな会話をした矢先のことで、二人の楽しそうな姿を遠くから見るだけにしました。
時間があまりなく急ぎ足で買い物でしたが、二人の姿が焼き付いてこちらの気持ちも和み、楽しい買い物に時間を過ごすことができました。
同じ商店街で活動をしていましたが、旦那は一念発起をして商店街から出て商売を始め、大成功をしていると感じています。
この夫婦の子どもも社会人になり、手が離れて休日を二人で楽しんでいる姿を垣間見て、二人で力を合わせて事業に取り組んできたことを実感しました。
一緒に食事や酒を飲んでいた頃からは、かなりの時間が経過していますが、出会うと昔のように親しく話ができます。
生きる道はすっかり違いますが、この旦那も大切な友人です。
この先も夫婦仲良く老いていってもらえたら・・・・。
あまり行くことのない店でしたので、レイアウトが分からず店内をウロウロしていました。
1階のイートスペースを歩いていると、見た顔がありました。
夫婦で来ていて何か楽しそうに話をしています、この夫婦の仲人を29年前にしています。
現在は仲人という役割はほとんどなくなったようですが、わずか30年ほどで時代も大きく変わっていることを認識させられました。
この前、旦那と出会って「来年は結婚30年やな」と話すと「そんななるんですか・・・」「結婚したのは32歳やったやろ、いくつになった」「ほんまや、ちょっとも気が付きませんでしたわ」そんな会話をした矢先のことで、二人の楽しそうな姿を遠くから見るだけにしました。
時間があまりなく急ぎ足で買い物でしたが、二人の姿が焼き付いてこちらの気持ちも和み、楽しい買い物に時間を過ごすことができました。
同じ商店街で活動をしていましたが、旦那は一念発起をして商店街から出て商売を始め、大成功をしていると感じています。
この夫婦の子どもも社会人になり、手が離れて休日を二人で楽しんでいる姿を垣間見て、二人で力を合わせて事業に取り組んできたことを実感しました。
一緒に食事や酒を飲んでいた頃からは、かなりの時間が経過していますが、出会うと昔のように親しく話ができます。
生きる道はすっかり違いますが、この旦那も大切な友人です。
この先も夫婦仲良く老いていってもらえたら・・・・。
Posted by いとう茂 at
15:26
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2024年12月19日
ボーナスのもらえる身分
娘よりも若い女性の話です。
2年ほど前から話をするようになりました、最初は「おはよう」くらいでしたが、その女性が派遣社員だと話してくれたのをきっかけに、話題が増えていきました。
共働きで旦那の方が帰りが早く夕食は旦那の担当だとも話してくれました。
今年の5月に派遣社員から正社員になったと嬉しそうに話してくれた時の笑顔ははっきり覚えています。
時々、チョコパイやチョコバーなどのチョコレート菓子をくれます、いつももらってばかりで恐縮なので、この前20時間旅行に行った時にお返しにと小さい明太子を買ってきました。
そうしたら昨日「これ旦那から」と箱に入った菓子をいただきました。
こちらはいつももらってばかりなので、そんなもの貰えないと固辞したのですが、女性も「旦那が明太子が好物で大喜びで自分で買ってきた」と言って引きません。
道端で綱引きもできませんからありがたくいただきました。
そのついでに「ボーナスは出たか」「この明日なんです」。
派遣の時はどこに行ってもボーナスをもらったことがなかったそうです。
もちろん、派遣社員でもボーナスが出ることはあるのでしょうが、派遣会社が出さないのが普通だと思います。
ボーナスの金額に差はあってもボーナスをもらえる身分は基本的には正社員なんだと気がつきました。
週末には旦那と明細を見ながら楽しいひと時を過ごしている光景が目に浮かびます。
テレビでは転職のCMがいくつも流れています、能力を売り物にできる人間は転職もいいかも知れませんが、安易な気持ちでの転職は派遣社員としても道を歩むことにはならないのだろうか、昭和の人間としてはそこが一番心配です。
2年ほど前から話をするようになりました、最初は「おはよう」くらいでしたが、その女性が派遣社員だと話してくれたのをきっかけに、話題が増えていきました。
共働きで旦那の方が帰りが早く夕食は旦那の担当だとも話してくれました。
今年の5月に派遣社員から正社員になったと嬉しそうに話してくれた時の笑顔ははっきり覚えています。
時々、チョコパイやチョコバーなどのチョコレート菓子をくれます、いつももらってばかりで恐縮なので、この前20時間旅行に行った時にお返しにと小さい明太子を買ってきました。
そうしたら昨日「これ旦那から」と箱に入った菓子をいただきました。
こちらはいつももらってばかりなので、そんなもの貰えないと固辞したのですが、女性も「旦那が明太子が好物で大喜びで自分で買ってきた」と言って引きません。
道端で綱引きもできませんからありがたくいただきました。
そのついでに「ボーナスは出たか」「この明日なんです」。
派遣の時はどこに行ってもボーナスをもらったことがなかったそうです。
もちろん、派遣社員でもボーナスが出ることはあるのでしょうが、派遣会社が出さないのが普通だと思います。
ボーナスの金額に差はあってもボーナスをもらえる身分は基本的には正社員なんだと気がつきました。
週末には旦那と明細を見ながら楽しいひと時を過ごしている光景が目に浮かびます。
テレビでは転職のCMがいくつも流れています、能力を売り物にできる人間は転職もいいかも知れませんが、安易な気持ちでの転職は派遣社員としても道を歩むことにはならないのだろうか、昭和の人間としてはそこが一番心配です。
Posted by いとう茂 at
16:52
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2024年12月18日
情けない毎日
毎朝起きてくると、つくしの遺骨に線香をあげて写真を撫でながら挨拶をするのが日課になりました。
線香は朝だけでなく昼も夜もあげています。
つくしが亡くなって、大津市の動物愛護センターで講習を受けて保護犬を飼おうかと本気で考えたり、いやいや亡くなる姿が哀れで悲しいからと打ち消す気持ちが出て来たりの毎日で、思っていた以上にダメージがある自分に気づかされています。
自分の年齢を考えると最後まで世話ができるか心配で、諦めるしかないかと落ち込むこともしばしばです。
昨夜はテレビを見ていると横のベッドでカサカサ音がしました、まさかつくしがいるはずもなくネズミかと布団をまくりましたが何もいません、空耳というやつだったのでしょう。
食欲も戻らずつくしが生きていた頃の半分までいくかどうか、これではいけないと思うのですが食べたい意欲が湧いてきません。
つくしに何を求めていたのか、考えてみるのですが元気に走り回る姿、おいしそうに一緒のおかずを食べる姿、そんな事しか浮かびません。
もしかすると「死」を予期して心の準備をする時間が短かったのかとも思います。
今まで元気だったのが急に強いけいれんを起こして床をころころ転がってから1週間足らず、あっけない最期でした。
もう少し横についている時間があれば、生きている時に「ありがとう」をいっぱい言えた気がします。
ともあれ、つくしはもういません、いい年をした大人が情けない毎日を送っています。
線香は朝だけでなく昼も夜もあげています。
つくしが亡くなって、大津市の動物愛護センターで講習を受けて保護犬を飼おうかと本気で考えたり、いやいや亡くなる姿が哀れで悲しいからと打ち消す気持ちが出て来たりの毎日で、思っていた以上にダメージがある自分に気づかされています。
自分の年齢を考えると最後まで世話ができるか心配で、諦めるしかないかと落ち込むこともしばしばです。
昨夜はテレビを見ていると横のベッドでカサカサ音がしました、まさかつくしがいるはずもなくネズミかと布団をまくりましたが何もいません、空耳というやつだったのでしょう。
食欲も戻らずつくしが生きていた頃の半分までいくかどうか、これではいけないと思うのですが食べたい意欲が湧いてきません。
つくしに何を求めていたのか、考えてみるのですが元気に走り回る姿、おいしそうに一緒のおかずを食べる姿、そんな事しか浮かびません。
もしかすると「死」を予期して心の準備をする時間が短かったのかとも思います。
今まで元気だったのが急に強いけいれんを起こして床をころころ転がってから1週間足らず、あっけない最期でした。
もう少し横についている時間があれば、生きている時に「ありがとう」をいっぱい言えた気がします。
ともあれ、つくしはもういません、いい年をした大人が情けない毎日を送っています。
Posted by いとう茂 at
12:41
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2024年12月17日
お年玉
あと2週間で今年も終わり新しい年が来ます。
子どもたちにとってはお年玉がもらえる嬉しい時間です。
今は孫にお年玉を渡す立場になりましたが、孫の顔が見られる費用とか考えれば渡す方も笑顔になります。
お年玉の語源は今のように子どもにお金を渡すのではなく、新しい年の神様から命をもらうことです。
命は魂でもあり、「年魂」(としだま)から出たとされ、数え年は元旦に新しい命をいただいたということで、1歳多く数えます。
雑煮を祝う習慣は今も残っていますが、この雑煮を祝うことが新しい神様から命をいただいたことに対する感謝の表れです。
お正月に雑煮、文字だけ見るとお正月にふさわしくない食べ物のイメージがありますが、雑煮のメインは丸餅です。
関東風、関西風、そのほかにも地方によって味付けは様々ですが、年神様から頂いた命を形にしたものが丸餅であることに違いはありません。
そんな講釈を孫にしても馬耳東風、孫にとって大切なのはポチ袋の中身です。
雑煮やおせち料理を食べるかどうかは別にして、お年玉がもらえる以上は孫はやってきます。
そう思うと、お年魂の本来の意味からは離れましたが、お年玉を渡す方から見ても孫の元気な姿を見られることは、年神様からの授かりものだと思えてきます。
子どもたちにとってはお年玉がもらえる嬉しい時間です。
今は孫にお年玉を渡す立場になりましたが、孫の顔が見られる費用とか考えれば渡す方も笑顔になります。
お年玉の語源は今のように子どもにお金を渡すのではなく、新しい年の神様から命をもらうことです。
命は魂でもあり、「年魂」(としだま)から出たとされ、数え年は元旦に新しい命をいただいたということで、1歳多く数えます。
雑煮を祝う習慣は今も残っていますが、この雑煮を祝うことが新しい神様から命をいただいたことに対する感謝の表れです。
お正月に雑煮、文字だけ見るとお正月にふさわしくない食べ物のイメージがありますが、雑煮のメインは丸餅です。
関東風、関西風、そのほかにも地方によって味付けは様々ですが、年神様から頂いた命を形にしたものが丸餅であることに違いはありません。
そんな講釈を孫にしても馬耳東風、孫にとって大切なのはポチ袋の中身です。
雑煮やおせち料理を食べるかどうかは別にして、お年玉がもらえる以上は孫はやってきます。
そう思うと、お年魂の本来の意味からは離れましたが、お年玉を渡す方から見ても孫の元気な姿を見られることは、年神様からの授かりものだと思えてきます。
Posted by いとう茂 at
14:44
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2024年12月16日
ちょっと見えてきました
和太鼓廻向を立ち上げて3カ月足らずですが、新曲が1曲できそうになってきました。
メンバーは3名ですので密度の濃い練習ができます、打ち合わせをして練習、それをパソコンで撮影して検証、その繰り返しですので振りも叩き方もすぐに確認できます。
パソコンの画面を見ながら意見交換をして再び練習、これがメンバー5名だともっと叩く時間が短くなりますが、3名だと小回りがきいて時間を有効に使えます。
人前での発表までにはもうしばらくかかりますが、4曲は用意したいと考えています。
会費の徴収についても決めました、どこかへ叩きに行くとそれなりに謝礼が出ることが多いのでが、そこまでいきませんので会の運営に必要な費用は自腹になります。
古いものを守ることも楽しいのですが、新しいものを作ることは手探りで試行錯誤を繰り返しますが、別の楽しみがあります。
この先どれだけ叩けるのか分かりませんが、「楽しくうまく」が会のモットーですので、1段でも2段でも階段を上れたらと願っています。
メンバーは3名ですので密度の濃い練習ができます、打ち合わせをして練習、それをパソコンで撮影して検証、その繰り返しですので振りも叩き方もすぐに確認できます。
パソコンの画面を見ながら意見交換をして再び練習、これがメンバー5名だともっと叩く時間が短くなりますが、3名だと小回りがきいて時間を有効に使えます。
人前での発表までにはもうしばらくかかりますが、4曲は用意したいと考えています。
会費の徴収についても決めました、どこかへ叩きに行くとそれなりに謝礼が出ることが多いのでが、そこまでいきませんので会の運営に必要な費用は自腹になります。
古いものを守ることも楽しいのですが、新しいものを作ることは手探りで試行錯誤を繰り返しますが、別の楽しみがあります。
この先どれだけ叩けるのか分かりませんが、「楽しくうまく」が会のモットーですので、1段でも2段でも階段を上れたらと願っています。
Posted by いとう茂 at
22:07
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