2025年03月18日
太田先生
今朝の新聞の1面に太田先生が昨秋に亡くなり、先生の遺徳が掲載されていました。
太田先生は書道の先生で、60年以上も前のことですが毎週土曜日に習字を習っていました。
歩いて10分足らずのところに太田先生の自宅があり、その2階の和室に和机が並べられていました。
2・3年生だったと思いますが、楷書の字ではなくのびのびと半紙からはみ出すくらいの文字を書いていた記憶があります。
生徒が増えたのか家の裏手に部屋を増築して、そこで6年生まで習字を教えてもらいました。
「書の友」だったと思いますが、自分の名前が載り級や段が何か月かで上がっていくのも楽しみでしたし、琵琶湖に浮かぶ文化館で書初めの展覧会も開催されていました。
佳作、入選、金賞、そんな賞状が今も残っています。
習字を4・5年教えてもらいましたが、素地が悪いのか人に自慢できる字は書けませんが、高校の選択科目で音楽、美術、書道、では第1希望から第3希望まですべて書道にし、3年間書道で通しました。
ご縁は不思議なもので、高校の書道の教師が太田先生の弟で、そのご縁だけで書道の成績は結構いいものでした。
太田先生はいつの頃か山手に引っ越しをされ、出会う機会はなくなりましたが、奥さんとは大人になっても何度かお出会いすることがありました。
週に1回、それも子どものころだけなのに奥さんは覚えていて下さり、こちらも親しく挨拶をしていました。
子どもの頃に使っていた筆や硯はもうありませんが、形のない思い出だけは残っています。
太田先生のご冥福をお祈りいたします。
太田先生は書道の先生で、60年以上も前のことですが毎週土曜日に習字を習っていました。
歩いて10分足らずのところに太田先生の自宅があり、その2階の和室に和机が並べられていました。
2・3年生だったと思いますが、楷書の字ではなくのびのびと半紙からはみ出すくらいの文字を書いていた記憶があります。
生徒が増えたのか家の裏手に部屋を増築して、そこで6年生まで習字を教えてもらいました。
「書の友」だったと思いますが、自分の名前が載り級や段が何か月かで上がっていくのも楽しみでしたし、琵琶湖に浮かぶ文化館で書初めの展覧会も開催されていました。
佳作、入選、金賞、そんな賞状が今も残っています。
習字を4・5年教えてもらいましたが、素地が悪いのか人に自慢できる字は書けませんが、高校の選択科目で音楽、美術、書道、では第1希望から第3希望まですべて書道にし、3年間書道で通しました。
ご縁は不思議なもので、高校の書道の教師が太田先生の弟で、そのご縁だけで書道の成績は結構いいものでした。
太田先生はいつの頃か山手に引っ越しをされ、出会う機会はなくなりましたが、奥さんとは大人になっても何度かお出会いすることがありました。
週に1回、それも子どものころだけなのに奥さんは覚えていて下さり、こちらも親しく挨拶をしていました。
子どもの頃に使っていた筆や硯はもうありませんが、形のない思い出だけは残っています。
太田先生のご冥福をお祈りいたします。
Posted by いとう茂 at
13:00
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