2025年03月05日

知足と諦め

知足、足るを知るということですが、仏教用語だと思っていのですが、老子の中にも知足という言葉があった記憶があります。
今あるもの、今の境遇、地位、に満足するという意味だと理解しています。
もっと欲しい、その欲を絶つことはかなり難しいもので、自分を律することの難しさを感じます。
欲を言えば切りがない、上を見ればきりがない、出てくる欲は尽きることがありません。
テレビや新聞の広告はその欲を刺激して買わそうと懸命です。
転職のCMが多いのも、1円でも高い給料が欲しいという思いを充足させるためだと思います。
実際にはどれだけ転職者がいるのか知りませんが、需要があるからいくつものCMが流れているのでしょう。
最近自分の中で「これで満ち足りている、これが自分の分だ」と納得したことがどれだけあるか。
不平や不満が出てくるのは足りて納得していない証拠かもしれません。
自分を律する方法の一つに、自分より恵まれていない人と比較することがあるように感じます。
1日に3度食事ができる、世の中には1に2食か1食の人も大勢いる、その人たちと比べたら恵まれた方だ・・・。
こうした考えができるなら知足に近づくのかとも考えますが、恵まれない人との比較は一種の諦観ではないかとも感じます。
外見だけを見れば同じ形でも、内にある心が違います。
「しかたがない」「これで満足、満足」この差は埋めようがありませんし、かえって不平や不満が膨らむかもしれません。
今の自分を見て「しかたがない」「これで満足、満足」どちらを強く感じるかは別にして、自分が主役でそう感じているのは事実です。
だったら・・・「仕方がない」とは考えず、「これで満足、満足」と考えるように努めることも可能ですが・・・凡人の悲しさでそう考えられないことが多くあります。
  
Posted by いとう茂 at 15:18Comments(0)